成長のためにシリーズ②:「選択する力」の身につけ方
前回「成長のためにシリーズ①:「選択する力」の重要性」について記載し、その中で人の成長にとって「選択する力」が最も重要であると書きました。また、その「選択する力」は経験を通してしか身につけることができないと記載しましたが、今回はその続編として「選択する力」を身につける経験を効率的に積む方法について私なりの考えをまとめたいと思います。
「選択する力」を身につけるために必要な経験
まず前回の続きからですが
・「選択する力」は形式知ではなく暗黙知であるため人から教えてもらうことが難しく、自分自身の経験からしか学べない
・そして、その経験をたくさん積んだ人ほどその力を身につく
と記載しました。
それでは「選択する力」を身につけるために必要な経験とはなんのでしょうか。
おそらく、自分で自分がすることを決めて、やってみる。そして、その結果を自分自身で受け止め、その結果から次に繋がる何かを得て、そして次の選択をする、という繰り返ししかないと思います。
では、子供達が自分で自分がすることを決めて、やってみる。そして、その結果を自分自身で受け止め、その結果から次につながる何かを得て、そして、次の選択をする、というサイクルを生み出すにはどうすれば良いのでしょうか。それは前回お伝えした本人が自分自身で「楽しい」と思えることを「選択すること」であり、「楽しい」と思えることを「選択する」ことは人間の自然の摂理だと思いますので実は何もしなくとも人はそのような行動を取るのだと思います、あくまでも「先に決められなければ」という前提ですが。
しかし、実態はまさにその「先に決められる」経験をしながら子供達は育っているのだと思います。
学校生活での実態
学校生活ではどうだろう。
「学校」で教える内容として大きく「基礎知識」と「社会性」があると思いますがどちらも学校教育要綱ということでその指導法や時間割が決まっており、その通りに進むことが期待されています。また、その中身の多くはこれが正しいというされていることを暗記するか、もしくは正しいとされている行いを取る、ということが期待されており、子供達が自分たちのやりたいことを自主的に選択する機会が非常に少ないと言えると思います。
学校においては「部活」という活動もあり、どの部活を選ぶか子供達が選択することができる仕組みをとっている学校も多いと思いますが、その活動自体団体行動や社会性を求める要素が強く、その活動に夢中になれるほどの深さがあるかというとその専門ではない先生が教えていることもあり限界があると思います。つまり、子供たちは選択はするが、その活動からの学びは少なく「選択する力」を身につけるという観点では片手落ちではないかと感じます。
家庭での実態
それでは「家庭」ではどうだろうか。
学校に行くことは多くの家庭では選択の余地なしと考えており、「学校」での状況は上記の通りですが、その他のことで子供自体に選択できる機会がどれほどあるだろうか。
私も現在小学生と中学生の子供を持つ身ですが、子供達を通して見える今時の子供たちの生活はとにかく忙しい。
学校の宿題、塾・スポーツなどの習い事、また、その習い事も一つではなく2つ3つ、、、スポーツを真剣にやっていればそのスポーツを上達するための基礎トレーニング・勉強などなど。。。
大人から見ても子供たちの1日の忙しさはかなりのもので、その忙しさのあまりただ毎日をやり切ることに一生懸命で自分のことをしっかり考える余裕がないように見えます。
また、塾やスポーツなどの習い事も全てではないですが子供が自分で選択して通っているわけではなく、さまざまな理由から言われた通りに通っているという結果になっていることが少なくないように感じます。
例え自分が好きなスポーツを自分で選んでやっていたとしても学業との両立が出来ず好きなスポーツをやめさせられるケースもあるようです。
これらの状況はあくまでも私が自分の子育てを通して自分自身が経験したこと、子供の話を通して聞いたことの範囲ですので必ずしも全体を適切に語っているとは言えないかもしれません。
しかし、私自身の子供時代の経験を振り返ってみても自分で選択する機会がとても少なかったと思います。その少ない機会の中で自分で選択をしたとしてもそれを認めてもらえなかった経験もあり、それは今でも痛烈も覚えています。
子供達が選択する機会を奪われている理由
ではなぜそうなってしまうのか。
それは自分が親となり自分自身が子供を育てる立場になって始めた分かったことですが、親も不安と戦っているということなのだと思います。
また、人を真剣に育てようと思っている方であれば皆共通していると思いますが大人として子供たちよりたくさんの経験をし、たくさんの失敗をしてきた、見てきたからこそ、その失敗をかわいい我が子、可愛い教え子には経験して欲しくないと思っている愛情が故の行動であり、つまり将来の子供たちの失敗に対する不安を抱えているのです。
加えて子供たちよりたくさんの経験をしているが故に大人である自分が子供たちより正しい選択ができると思い込んでしまい、そのため子供たちの選択を否定、もしくは奪うのだと思います。
つまり、
子供達を失敗させたくない+自分たちの方がよく知っている=子供たちの選択より自分の選択の方が正しい。だからその通りにしなさい。
となるのではないかと思います。
でも、上記は本当に正しいのでしょうか。
そもそも自分と子供は同じ人間なのでしょうか。
同じ状況に置かれ、同じ選択をした場合に同じ結果になるのでしょうか。
そもそも同じ状況というのは存在するのだろうか。
同じ状況があったとしても同じ選択をするのだろうか。
答えは全てNOだと私は思います。
子供と自分は違う人なのです。なので違う判断、行動をとる可能性が高いのです。人はそれぞれに異なる才能・能力を持っており、それを外から見ている人間が完全に把握することは不可能なのです。
また、これだけ多様な社会において自分の子供時代の状況と現在の子供の状況が同じではないことは自明だと思います。
つまり、子供たちの選択に対してそれが失敗するとも、成功するとも誰にも予測することはできない訳です。
子供時代に自分のやりたいことをやらせてもらえず、そのため自分の子供には自分自身で選択をさせることを第一優先してきた私ですが、それでも子供たちの選択の機会を奪いかねない思考に陥っていることに気づくことが少なくなく、理屈では分かっていても愛情があればあるほど徹底して実施することはかなり難しいということだと思います。
これは会社の指導役としても同じであり、部下を大切に思えば思うほどいろいろなことを伝えたいという思いが強くなり、その結果本人を置き去りした状態でたくさんのインプットをしてしまうこともあり、逆効果になることも少なくありません。
子供達の選択の機会を奪っているというケースは「XXしなさい」や「XXをやめなさい」というようなわかりやすい明示的な形だけではなく、実は知らない間にふとした言葉で結果的に子供達の選択機会を奪っていることも少なくなく、実は日常生活の中ではそのようなケースの方が多いのではないかと思います。
例えば、サッカー教室に通っている子供がいて、そのコーチに「XXちゃんはもっとYYの能力をつけたほうがいいよね」というアドバイスをもらったとしましょう。
その時にそのアドバイスを踏まえ、親として色々調べて子供に「YYの能力をつけるためにはZZのような練習をした方がいいよ」とアドバイスする。
こんなシーンは家庭内の会話でたくさんあると思います。
しかし、この中には結果的に子供が自分が考え、選択する機会を奪っているリスクが内在していると思います。
例えば、このアドバイスを受けた時のプレイは子供的には自分が上手くなるための別なプレイを意識していた時でたまたまYYがうまくできなかっただけかもしれません。
例えば、仮にYYの能力に課題があることがわかっていたとしてもその能力を向上させるための方法論の選択肢が無数にある中で親からある方法を与えられてしまうと子供としては親の気持ちを考えるとそれを試さざるを得なくなるものです。
上記の結果、子供が自分で考えて、選択する機会をちょっとした良かれと思ったアドバイスが奪っているという結果になるのだと思います。
もちろん、アドバイスを受けた本人が自分で判断すれば良いという意見もあると思いますが、まだまだ社会経験が少ない子供が何がその時に自分にとって最も適切なアドバイスか判断することは至難の技ですし、素直な子ほどそのアドバイスを聞き、その通りにしようとする者です。
上記のようなアドバイスが例えば父親からだけなど一方向ならまだいいです。それが母親、コーチ、チームメイトなど他方向からアドバイスがあり、その内容が異なっていたらどうなるでしょうか。
子供は選択の機会を奪われるだけではなく、どのアドバイスが良いのか迷ってしまい、混乱し、動けなくなります。
これはよく言えばその子を思ってくれる大人や仲間が周囲にたくさんいるということでもありますが、その弊害としてたくさんのインプットが発生し、制御できなくなる状況に陥っているとも言えます。
相手を認めること、信じて任せることの大切さ
しかし、そんなモヤモヤを親として会社の指導役として経験してきた結果、私自身が行き着いた一つの結論は、非常にシンプルなことで子供であろうが誰であろうが「相手を認める」ということだと思います。
平易な言葉で言えば「信じて任せる」であり「その人の人生はその人の人生として委ねる」ことなのだと思います。
結果的に外から見るとそれは「放置」ではないかと言われることもあるかもしれませんがその誤解を恐れず「信じて任せる」のです。
別な言い方をすると極力本人が選択することを邪魔しないようにすること、そして、その選択を尊重しサポートすることが最も重要なのだと思います。
現代社会は過干渉
現在社会は色々なシーンで過剰干渉ではないかと思うことが非常に多いです。
「心配」だから「自分の方がよく知っている」からなどの理由で相手が自分自身で選択する前に失敗をしない選択肢を選ばせる、つまり「転ばぬ前の杖」を出す訳です。そして、その人は「自分で選択する機会」、「選択したことを挑戦する機会」、「挑戦から学ぶ機会」を全て奪われることになる訳です。つまり愛情あふれる親や周囲の大人が邪魔している訳です。
そして、そのような幼少期を過ごした子供たちは大人になっても自分で選択する力を持たず、その後も誰かに自分のことを選択される人生を過ごすことになります。
自分のことを誰かに選択される人生と聞くとそれほど悪くないと感じるかもしれませんが、自分の周りの人が全て善人ではないわけであり、善人であったとして自分のことを優先するあまり他人を蹴落とす人は世の中にごまんといるわけです。
つまり選択してくれる人が悪意のある人、自分を優先する人の場合、誰かに選択される人生は、誰かに使われる人生であり、自分の人生を自分以外の誰かにコントロールされている人生を意味します。
おそらくそれを「幸せな人生」と呼ぶ人は誰もいないと思います。
まとめ
少し長くなってきましたのでここでまとめたいと思います。
・人は自ら選択し、行動すること(つまり挑戦をすること)で成長する
・そして、その起点は自ら「選択する」ことであり、「選択する」力が必要
・「選択する」力は経験からしか学べず、早めに自分のことを自分で選択をする経験を多く積むことが重要
・選択する力を身につける経験を積ませる方法は一つしかなく「相手を認め」「信じて任せる」「その人の人生をその人の人生として委ねる」
・しかし、現代の子供達が育つ環境下では「選択」する機会が非常に少ない
・また、愛情から過干渉となり子供たちの選択の機会を悪意なく奪っているケースも少なくない。
・そして「選択する」力を身につけずに大人になると自分で自分の人生を選択できなくなる。
・その結果、人から決められたことをする人生となり、それはつまり自分の人生を人にコントロールされている
・つまり、子供達の選択する機会を奪わないことが「選択する力」を養う上で最も重要である
元々自分自身の成長のために自分のことを自分で選択することが重要だという話をしてきましたが、自分で選択し、失敗・成功から学ぶことで成長し、その経験が積み重なることで、「選択する」力だけでなく失敗・成功からの学びから新たな力が身につき、結果的に自分で自分の人生をコントロールできるようになる、自分自身を幸せにできるということなのだと思います。
そして、「選択する力」を身につける経験を幼少期から積むためには親を中心とした周囲の大人が協力しその子を「認め」「信じて任せる」「その人の人生をその人に委ねる」こと、言い換えれば「選択する」ことを邪魔しないことが必須だと個人的には思います。
また、これからの子供達の成長を支える我々大人ですが、実はその我々が「選択する力」を身につける経験をしてきていないことも少なくなく、親として見本を見せていく上でも今からでも我々大人が子育てや自分の仕事などに関して選択し、挑戦し、失敗・成功から学び力をつけなければならないのだと思いますし、そのことによって初めてその生き方を通して子供達に「選択」することの大切さを部分的かもしれませんが伝えられるのかもしれません。
ということでここまでは成長の起点として「選択する」力を中心にまとめてみましたが、「選択する」力の次に私が重要だと思っているものとして「選択する」内容、別名「挑戦」について次回触れたいと思います。