2020年最後の日に、春馬くんについて綴りたい (2 続き)
彼は十分に賢いのに、本の中でも、とても謙虚で、分からない事は何でも質問して、その答えが少ない時でも、その言葉から多くの意味を捉えていた。
これは理解力があるないとかの話だけでは無いと思う。センスや今まで生きてきた経験からの視野の広さ、思考が自分よがりにならず、相手の立場やその人を取り巻く環境、全てのことがあたかも見えているかの様に思えた。
これは、彼のふるさと「茨城県」の取材記事で感じた。
そして、他の人が気付かない、一見なんでも無いようなことに気付く、それが実は結構大事なことだったりして、もう彼の感性が秀逸な事に只々驚かされるばかり。だって、目の前には何百年と言う歴史のある資料だったり、作品があったら、中々館内の設備やちょっとした物まで目がいかないし、以前訪れた取材先のこともよく覚えてるんだよね。あんなに他の仕事で忙しいのに。
最後に、日本製について雑誌+actで語っていた、この本の未来のこと。図書館や学校の図書室に置いてもらうのが夢と。
普通、本を出版するってビジネスだから、著者が「多くの人に手に取って欲しい」と宣伝する時は、「購入して欲しい。利益を出したい。」と言う意味が含まれるし、そう言うもの。
だけど、彼は、日本の文化や伝統を無償で誰もがいつでも手に取れて、学べる場所にと望んだ。
取材が終わってからも、SNSでその品を紹介したり、身に付けたり、出逢った人たちとのご縁を大事にしていた。未来に伝えていくのを自分の使命とすら思っていたのかも。
わたしは、彼を"偉人"だと思う。この言葉が歴史上の人物だとか、遥か昔の人にしか使用しないのなら、"偉い人"だと思う。とても真面目で、どんな時でも努力を惜しまず、それでいていつも周りを労り、皆の未来までも思いやる尊い人。永遠に私達の中で輝き続ける光です。