今日も喜ぶ顔が見たいから、手土産を持って両親の元に。
どうして、両親に感謝を伝えるのは難しいのだろう。
いつも悩みを聞いて、存在を認めてくれる両親。たくさん感謝してるけれど、それなりに反抗期もあって、喧嘩もした。「産んでくれてありがとう」、「育ててくれてありがとう」なんて恥ずかしくて言えない。
両親だって、言葉で直接愛を伝えてくれるわけじゃない。「生まれてきてくれてありがとう」とわたしに伝えるなんて、きっと恥ずかしいはず。でもなぜだろう。言葉がなくても両親からは惜しみない愛が伝わってくる。
きっといつまでも子供のまま
わたしは東京の高校を卒業して、鹿児島の大学に進学した。鹿児島の大学に進学したいと伝えたとき、両親が応援の言葉を口にしながらも、ほんのちょっと悲しそうな目をしたのを今でも覚えている。18年間一緒に住んだ一人っ子の娘が、よく知らない場所で一人暮らし。きっと不安で、心配で、少し寂しかったのだろう。
鹿児島には6年間住んだ。両親が鹿児島に来たり、贈り物が頻繁に来たりすることはなかったが、この6年間は、わたしにとって両親からの惜しみない愛を感じる期間だった。
たまに実家に帰ると、わたしの好物フルコースが毎日準備されていた。母の手作りの餃子に唐揚げ、モツ煮込み、豚汁。すべてわたしが高校生のときに美味しいと言って食べていたメニューで、あのころと変わらない味だ。なんてことのない家庭料理でも、時間をかけて作ってくれた好物が、テーブルに並ぶのをみると、実家に帰ってきたことを実感する。冷蔵庫には大好きな午後の紅茶のミルクティー。普段通りの麦茶でいいのに、わざわざ2Lのペットボトルが準備されている。「午後の紅茶買ってあるよ」という声かけすらちょっと恥ずかしいのは、わたしがまだ精神的に子供だったから。
「知らない土地で立派に一人暮らししてるから、子供扱いしないでよ」と思いながらも、帰省して母の手作りの料理を食べていると、いつも心を緩められた。知らない土地で日々を過ごすことは、それなりに気を張っていて、疲れているのだと実感する。
東京で就職したあともその時間は続く。たまに実家に帰ると好物を準備して迎えてくれた。新しく好きだと伝えたマウントレーニアのカフェオレや、コンビニのスイーツも冷蔵庫に準備されるようになった。ご飯を食べながらいろいろな話をする。お互いの近況や、最近見たテレビの話。実家に住んでいたころと変わらない家族団らんの時間は、相変わらず心を緩める大切な時間だった。
手間をかけて好物を準備してくれていることを知ると、いつも嬉しくて、ちょっぴり恥ずかしい。両親の中ではわたしはいつまでも子供なのだと実感する。きっと両親の中では、家を出た18歳のままのわたしで止まっているのだ。でも、家族で食卓を囲むと、心が落ち着く。わたしの好物が並んだテーブルを囲み、日々あった話を受け止めてくれる時間。料理の味も、家族団らんの雰囲気も、全く変わらない。なんでも受け止めてくれるという安心を感じることができる。
両親から、何か愛の詰まった言葉が送られるわけではない、プレゼントを頻繁にもらうわけでもない。でも、両親からはわたしを喜ばせたいという惜しみない愛が伝わってくる。手間をかけて準備してくれた好物と、心が休まる家族団らんの時間がわたしにとっては最高の贈り物だった。
帰省するたびに両親は、「たまに帰ってきて、顔が見られるだけで良い」と嬉しそうな表情で言う。18歳で家を出た子供が、たまに帰ってくるだけで、嬉しかったのかもしれない。久しぶりの家族団らんの時間は、両親にとっても最高の贈り物になっていたようだ。
家族愛ってなんだろう
家族愛って今でもよくわからない。頻繁に感謝を伝え、会いにいくことが正しいのか。高価なプレゼントを送ることが正しいのか。もしかしたら正解はないのかもしれない。
ただ、両親には喜んでほしい、幸せでいてほしい、笑っていてほしいと思う。帰省するたびに、好物でわたしを喜ばせようとする両親のように、わたしもどうにか両親に喜んでほしいのだ。
相手に喜んでほしい気持ちは、友人にも恋人にも持つ感情だろう。自分の身の回りの大切な人には、喜んでほしい。だから、誕生日プレゼントを渡すし、料理を作ったり、優しい声をかけたり、いろいろな形で贈り物をする。友人や恋人に対しては表現できるのに。なぜ両親にはできないのだろう。なぜか恥ずかしいという気持ちが邪魔をする。
子供は3歳までに一生分の親孝行をすると言われている。きっと生まれてきただけで、両親にとっては最高の贈り物なのだ。もう一生分の親孝行を済ませているなら、家族愛を伝えるとか、親孝行をしなきゃと思わなくてもいいのかもしれない。ただ喜んでほしいから、笑顔が見たいからという理由で、両親に贈り物をしても良いじゃないか。
相変わらず、両親に感謝を伝えるのは難しい。でも、両親の喜ぶ顔が見たいから、毎月1日にはお土産を持って実家に帰ろうと思う。きっと玄関を開けたら、美味しそうな料理の匂いと、両親の笑顔が迎えてくれる。