切抜15『母のおなか』
17の冬。
母親の子宮全摘出手術があった。原因は子宮筋腫だった。
閉経が訪れていてもおかしくない年齢だったが、いつまでも血が流れてくることに母親はずっと一人で違和感を抱えていた。
ある日、その身体の異常のために病院にかかったが、そこで調べて発覚したのが子宮筋腫だった。平たく言えば、子宮に瘤のようなできものがあった。しかも2つもだ。それらがこれまでの出血の原因だったそうだ。医師から解決策はただ一つ、「子宮の全摘出手術しかない」と下された。
家に帰って夕食の後によく父親と母親が二人で相談をしていた。当時大学受験を控えていた私は深くその話の内容を聞いていなかったが、母親より父親の方が手術に対して抵抗があったそうだ。高齢になってからほぼ使うことのない身体の一部とはいえ、内臓をひとつ失うのはいかがなものかと難色を示していたそうだ。でも、このまま血が止まらずに寿命が縮まるなら手術をして楽になった方がいいと割り切った母親は、来る12月に手術を受けることを決心した。
私は内臓の摘出ということにあまりピンと来ていなかった。現実味が全くなかったからだ。病院で身体検査のために前もって入院をしていた母親に何度か父親と一緒に面会に行っていた。本当は怖かったであろう母親は、手術当日まで父親と私の前では気丈にふるまっていた。
手術は日中に執り行われた。私は学校が終わってから父親と病院に向かった。父親は、医師から手術後に摘出したものを手術内容の説明のために見せると聞かされていたそうだ。その中でも、摘出した子宮を見せられるということに抵抗があるとつぶやいていたことを今でも覚えている。
病院に到着して、手術が終わるのを二人で待っていた。
赤いランプが切れて、しばらくしてから名前を呼ばれた。案内された部屋に、執刀医が腰掛けていた。
「では、そちらにおかけください。これからお見せするのが、本日摘出した子宮になりますがよろしいでしょうか。そこで改めて本日の手術の内容を説明させていただきます。」
淡々と私たちにその人は言った。お互いに顔を見合わせずとも、なんとなく交差した視線を感じ取り私が小さくうなずくと、父親はお願いしますと口を開いた。執刀医が背後からステンレストレイを片手で持ってきて、私たちの目の前の机にそっと置いた。
「ああ、なんてちいさいんだ。」
トレイの真ん中に寝かされた、女性のこぶしよりも少し小さく感じられる母の子宮を目の当たりにして、寂寥感のようなものが喉の奥からじわじわと込み上げてきた。涙にこそ変わらなかった感情がずっと胸の内を漂っていた。医師が前もって説明してくれていたように、空洞の真ん中に直径2cm大のできものが2つほどあった。私と父親は黙って頷きながら説明を聞き入れた。摘出したものはそのまま処分すると説明の最後に告げられた時に一瞬父親が戸惑った表情をしたが、「まあ、そうですよね。わかりました。」とこぼした。
やむなくして手術を終えて、全身麻酔が切れていない母親が眠っている病室に向かった。ベッドの横には脈拍を測る機械、腕に点滴の針が刺さっていた。まさか家族がこのようなところに運ばれるなんて思っていなかった私は、病室中を見渡したりとずっと落ち着かないままでいた。父親がベッド横の椅子にかけて、母親の手を握った。
「よく頑張った。」
と小さく語りかけていた。私もその様子を見て、壁際にあった丸椅子を父親の隣に置いて腰掛けた。
「子宮、このくらいしかなかったね。」
自分で握りこぶしを作って父親に見せた。
「うん。思ってたよりも全然小さかった。」
「あんなところからこんなに大きくなる人間が生まれるんだって、すごいね。」
「うん。人間ってすごいね。」
28歳で一人目の兄が生まれ、その4年後に二人目の兄、もうその5年後に私が、あの中から生まれた。生きている間にまさかその生まれた場所を目の当たりにする日が来るなんて思ってもいなかった。
私たちが生まれてきた場所は、こぶしよりも小さい空間だったのだ。
その人間の神秘的な部分に、父親と私は言葉を失うほど圧倒された。
当時母親と時折もめていたくらいに女癖がひどかった父親も、病室で眠る母親のそばでは病で弱っているわが子を見るような眼差しでその後付きっきりで看病をしていたそうだ。
私は翌日、冬期講習のために東京に向かうことが決まっていた。地元の空港までの送迎については父親がやるということを、手術前の母親と相談していた。日ごろ反抗期で父親に対して冷たい態度を取り続けていた私も、この時ばかりは受け入れざるを得なかった。
陽がだいぶ傾いた頃、面会終了の時間が訪れた。看護師に声をかけられて、部屋を出ようとした時に父親が母親に「明日も来るね」と優しく声をかけていた。一足先に部屋を出た私は父親が外に出るのを待っていた。いつの間にか陽の光がカーテンの隙間から見えなくなった頃になって、やっと父親が部屋を出た。
「死んだように眠る母を置いて、東京まで一人で冬期講習を受けるためにこの場を離れる私を許して。」
閉まりゆく扉から見える青白い病室の真ん中で眠る母親を横に並ぶ父親と見つめながらを、その隙間がなくなる瞬間まで心の中で何度も「ごめんなさい」とつぶやいたことを、今でも思い出す。