切抜12『世界の解像度』
(「切抜」シリーズは、今胸の内にあるモヤモヤを言葉に乗せてまとめる、いわば心の整理をするための雑記帳というもので読んでいただければと思います)
曇天が広がる春の世田谷。
私はこの東京に移住してからもう1年が経つのか、と、最近起こった憂鬱な出来事とこれまでの東京生活を振り返って、喉の奥から込み上げてきた溜息を押し込めるようにアイスコーヒーを啜った。
上野からの帰り道。私の自宅最寄り駅にあるカフェになんとなく立ち寄って、冷えた風が吹き込む夕暮れであることもお構いなしにLサイズのアイスコーヒーと抹茶のパン、ワケありで割引になってしまっていたチョコチップクッキーを買って、駅前の広場にあるベンチに腰掛けた。悲壮感と疲労感の二人羽織の面持ちであった私は、この1年を振り返りながらこれから先のことに対する不安だったり、自分の幸福度について自問自答するようにパンに噛り付いた。
東京に来てからの数か月は、父の死や4年程付き合ってきた恋人が音信不通で黙って消え去ってしまったこと、第二の故郷とも呼べる名古屋へのホームシックで精神的に落ち着かないことがとにかく多かった。その上、自分と向き合ってくれると思っていた如何にも誠実そうな人間からは知らない間に腫物扱いにされて離れられてしまったこともあった。誰も信用できないと思っていた2021年の夏の始まりに、私は現実から逃げるようにして江ノ島へ向かった。小さいカフェを経営している店主にある意味ドラマの一枚のような出会いを果たして、それから冬が訪れるまで藁にも縋る勢いで毎週末通い詰めたりした。出会った頃こそ、店主は何か違う生き物でも見るような目で私をいつも見ていた。自覚はあるが、あの頃の私はだいぶ落ち着かない人間だったと思う。時間経過とともに腰越の地に住んでいる人たちと縁がつながるようになり、それをきっかけに店主とは一緒にお酒を飲み交わせる間柄にまでなれた。
そう、秋には私の気持ちもだいぶ落ち着いていて、なかなかエンジンがかからなかった養成所での稽古にやっと火がついて、遅れを取った分を取り返すようにして必死に仲間たちについていった。養成所の仲間たちは私のことをいつも快く受け入れてくれた。入所したての頃は顔に「慣れ合うつもりはありません」と書いてあったような仲間も、季節が変わると共に打ち解けていた。私の居たクラスは何かと恵まれていて、途中退所してしまう人や喧嘩っ早い人が居るでもなく、みんなそれぞれクラスメイト兼一役者として向き合ってくれた。だから仕事がどれだけつらくても、週明け週末の仕事後に仲間の顔を見て言葉を交わせば自然と心が軽くなることもあった。
年が明けてからは去年と同じように光の速さで過ぎていった。2月に養成所で本番と進級審査が立て続けにあり、いわゆる団体戦と個人戦を控えたスポーツ選手のようなタイトスケジュールで2か月を過ごした。朗読劇をともに築き上げた友人たちはさしずめ戦友とも呼べるくらいの間柄にさえなった。一方でそんな忙しい中で特別大切にしたい仲間とも出会った。これから大変なことはあれど、同じ環境で切磋琢磨し合うには相応しいと思った。私は彼と出会って、彼の演技やストイックな生き方を近くで見て、私自身も変わりたいと心から思った。私なりの恋愛で生じる「幸せ」の在り方についても真剣に考えるようになった。彼はたった1,2か月で私に大きな心境への変化をもたらしてくれた。でもこの絆はもう間もなくほころんでしまう。それ故に、私の「令和3年」という年度末は春一番のような風が吹きすさんでいた。
この1年ではとにかくいろんな人間に出会った。それからいろんな景色を見つけ、いろんな言葉を拾い、投げつけられ、刺され、いろんな音を取り込んで、その度に癒されては突き落とされ、誰かの清々しいまでに一致しない言動に煮え切らない思いを感じてがっかりして、悲しみに暮れている私の背中を撫でるように声をかけてくれたことに救われた気持ちになったり。形は色々あれど、その都度全部咀嚼して自分の感性に取り込む努力をした。おかげで私の中のあらゆる物事に対する解像度はとても上がった。
解像度が上がったことで、自他共に許せる範囲が広くなった。相手の些細なことに眉を吊り上げることがなくなったし、無駄に自分自身を責め立てることもいつの間にかしなくなった。ちゃんと自分と目の前に居る人のことをまずは理解しよう、そして言葉を交わそうという落ち着きもいつの間にか備わるようになった。その甲斐あってか、昔から私の中に住まう「暗い自分」のことも肯定できるようにもなった。何もかも自分が悪かったと思えた過去も、よくよくつまびらかにすれば要所要所で「ここは私が悪いわけじゃない」「あの場面は私が悪かっただろう」と、冷静に思い出を分析できるようになった。
私にとって令和3年度は、私を前向きにさせてくれる出来事が多くあったように思える。
4月から養成所では研修科として一層芝居について技術を磨きあげ、5月からは職場で契約社員として本格的に組織の一員として従事することになる。年度が変わると共に私もまた新たな変化の時期を迎えることになりそうだ。
過去の視点から見えていたもの、今の視点から見えるもの、もう少し経った未来の視点から見えるもの。これからまた新たに出会うもの、再会するものなどが私を大きく揺さぶり、過去とつながり、その都度私の中の解像度は日々変わっていくのだろう。amazarashiの「世界の解像度」という楽曲の歌詞にある「句点じゃなくここは読点」とは、まさに人生そのものだと思う。
”その痛みや悔恨も 繋げば世界の解像度”
私は私の場所で抗って、これから目を閉じないで世界を真っ直ぐ見ていたい。
ふと顔を上げた時に視界に入った橙色の街灯が陽の光のように見えた。