切抜16『525600』
というタイトルのこの数字、何を意味するか分かりますか?
正解は、1年という数字を分数に換算したものになります。ミュージカル「Rent」の"Seasons of Love"という曲の歌詞に、まさしくこの数字が出てきます。「525,600分」、なんだかこの数字だけ見てるとすごい量だなと思うし、逆にそんなくらいしかないの?ともなりますよね。
私たちが平等に与えられたその数を、今年も私は私なりに過ごすことができたのではないかなと思ってます。皆さんにとって、2023年という一年はどんな一年だったでしょうか。
これを書いている日が大晦日ということで、本当はもっとじっくり私の一年を振り返りたかったんですけど、雑に振り返ろうかなと思います。
あとがき「名古屋」の最後の方にも書いた通り、これから2年半ほど前に声優の養成所に通うために上京してきた私ですが、2年間しっかりといろんな講師陣の指導のもと芝居や声優としての在り方などを叩きこまれ、今年の3月に全課程を修了しました。つまり卒業しました。事務所所属がかかった査定では最終選考まで残ったものの(あくまで耳にしただけですが)、あと一歩が届かず落選してしまいました。母親に結果報告をしたら「落ちて安心した」と言われて、結果に対して抱えていた悔しい気持ちにさらに後味の悪い何かを塗られた気がして、ものすごく不快な気持ちを引きずりながら3月を過ごしました。
4月、声優になろうという夢から大きく解放されて、じゃあこれからどうしようとなったところで、折角東京というところにいるのだから、ここからは私の原点である歌に立ち返っていろんなところに足を運ぼうと思い、ジャズバーに何件かお邪魔しに行きました。現時点であまりまともにジャズは勉強できてないですけど、行く先々で知り合ったジャズプレイヤーの皆さんは自分の演奏に折れない軸がちゃんとあってすごくカッコよかったという印象を多く受けました。中には「いつかジャズ聞かせてね」とお声がけくださる方もいて、その方のためにも頑張ろうかなと元気をもらったのも覚えてます。もうあれからそれだけの月日が経ったと思うと、何か勉強できたかなってなりましたけど…。
5月以降からは音楽や夢より、出会い面の方でいろんなことがありました。マッチングアプリでパートナー探しに勤しんで、私の出会い方的になんだか違う…!という違和感を抱えながら知らない誰かとご飯を食べるのがとても苦行のように感じたとある日のことを、昨日のことのように思い出します。アプリに登録してすぐやめて、またしばらくして今度は大丈夫かな?と思って再開してみても思うことは変わらず、私はこのアプリには悉く向いていないんだなということが分かりました。
恋愛から外れた出会いの話になると、お互いの存在を知ってはいたけど直接会話をするということは今回が初めてという10年来の友人と会ったり、大学時代にお世話になった同人サークルの代表や地元の父親が遺した同胞、名古屋の恩師や旧職場の皆さんなどなど、とにかくいろんな人たちと会いました。一方では「綺麗になったね」と言われたり、もう一方からは「変わってないね」と言われたり、こうやって声を通すことで会わない間に何か少しだけ変われたり、貫けた部分が自分にあったのかなと自分自身を客観視することが沢山できました。
いきなり話は変わりますが、そう、この一年の中で自分の中で大きく変わったことと言えば、考え方の変化でした。これまでは自分のやりたいことをベースに、ふんわりとした「夢です!」というものを持ってとにかくふんわりと過ごしてました。が、いろんな人たちと出会って、お別れして、というのを繰り返し経験して、気が付けば29歳という年齢になってしまっていたことに自分でびっくりして、なんだかこのままじゃいけない気がすると直感的に思いました。やりたいことがあるというのはとても恵まれた心がある証拠だと思うけど、そのやりたいことをやるために稼ぎや生活が伴っていないとやりたいこともやれないんだよということを自分と話し合って、来年の夏に資格を取ろうと勉強を始めたり、秋に今いる会社の正社員になったりしました。曲がりなりにも「社会人」というステータスなので、社会的にも生きやすくするためにも、そういう環境を変えました。正直稼ぎはなぜか減りましたが、これまで抱えていた仕事のストレスが一部解消されたので、少なからず働きやすくはなりました。私にとって、社会人はいかに上手にストレスフリーに怠けられるかが勝負と思うところがあるので、真面目に稼ぎたくても自分が何かを死ぬほど我慢してまで働くのは本当に人生的によくないです。
時間軸を元に戻しまして、6月にマッチングアプリでめでたく出会えた大○翔平似の素敵な方と素敵な時間をこれから長く過ごしていくぞと思っていた矢先、その2か月後にお互いのどちらが悪いわけではない、相手方の実家後継ぎ問題に直面してしまい、これまで定期的に会っていたのに最後は会うこともなくさよならしてしまいました。これが私にとって死ぬほどショックで、お盆が明けて最初の就業日に仮病で会社を抜け出して江ノ島に逃げるように繰り出して、空は晴れてるのに土砂降りというわけのわからない天気のもと、波の音をBGMに缶のブラックコーヒーを啜りながら大泣きしました。結局、波の音も私をずぶ濡れにして去っていった大雨も悲しみでまみれた私の心を洗い流すことはなく、それから数か月間毎晩泣き続ける日々を送りました。崎山蒼志の『燈』という曲をしばらく心の松葉杖にしてました。(ご存じでない方、めちゃくちゃ良い曲なので聴いてみてください)
悲しい気持ちを引きずったまま、時間だけは知らない顔して過ぎていく日々。もうこの先救いはないだろうなと独身貴族の支度をしようと思い、手始めに視野を広げて新しいワクワクを探し始めました。そこで見つけた「Dリーグ」が存外ものすごく面白くて、11月の試合を一人で観に行ったくらい今現在もめちゃめちゃ楽しんでます。今や推しチームも見つけて、来年の8月のワンマンライブにも行くことが決まってます。私自身はダンスなんてまったく踊れませんが、Dリーグの各試合では全13チームがいろんなダンススタイルでいろんな意志を持って全員で団結してダンスを披露するという熱意がものすごくまぶしくて、毎試合泣きながら観戦してます。ご興味がある方もない方も是非、試合があるときは配信が必ずあるので観てみてください。勿論それ以外にもダイジェストの動画などもあがっていたりするので、そちらで空気感を楽しんでいただくのもアリです。
ほかにも一人で映画を観に行ったり、大好きなamazarashiのライブに行って仲間と感想を共有しあったり、趣味に没頭したり、食を満喫したりと、つらいことがあっても一人でもなんとか楽しいことは楽しいって言ってやっていけるなとそのうち思うようになっていきました。楽しかったことはツイッター(現:X)でつぶやいて、日頃仲良くしているフォロワーさんたちに共有してなんとかして一日を「楽しかったなー」と言って満足に終えれることも、フォロワーさんたちのおかげで増えました。もうこれが本当に楽しくて楽しくて、感謝してもしきれないです。
そして12月、いよいよ年の瀬が近づいてきて今年の懺悔を始めようとしたところで事件は起きました。
私のドッペルゲンガー(私のコピー人間)と言っても過言ではない、これからの人生になくてはならない大切な存在ができました。あまりにも怒涛すぎるため、この話はまた来年どこかでお話します。
どうか2024年が皆さんにとって、さらなる飛躍の年になりますように。
良いお年を!
鯨岡 蒼