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この夏の課題図書は『進撃の巨人』で決まりッ 【漫画感想文】

いま、歴史の教科書を開いている諸君。すぐに閉じましょう。
代わりに、漫画『進撃の巨人』を開きなさい。

そう叫びたいくらい!!
いや本当、諌山先生と、執筆を支えてきた担当編集さんに拍手👏👏👏
お疲れ様でした!! 
そして、ありがとう!!!

単行本派の私は、6月に入ってやっと、最終回を見ました。
もうーーー、良かったです!!
少なくとも、私の想像をひと回りもふた回りも超えてきた展開に感動しました。

もちろんね、見ていない方もいらっしゃると思うんです。
「心臓を捧げよ!!」なんて、とんでもない! とか、そもそも「漫画」が苦手だという方とか、所詮ファンタジーでしょ、みたいなね。
理由はさまざまあると思いますが、それを差し置いても、私は、全人類に推したい!!!
こんな漫画、初めてです!(そもそも漫画をあまり見ないタイプではある、ごめんなさい 笑)

このnoteでは、『進撃の巨人』についてネタバレや細やかな「考察」はしません。
そういうのは、既に巷に溢れていますからね(なかなか面白いですよ)。
本日はですね、本編のストーリーから少し離れまして、全人類必読の書として『進撃の巨人』を推す理由をですね、感想文という形で述べていきたいと思います。

これでも、記事の完成までに二週間ほど要しておりますのでね、最後までお付き合いいただけますと泣いて喜びます。
コメントまで頂いた日には、小躍り必至です、はい。

『進撃の巨人』を見た方々にも、まだ見ていない方々にも、何か届きますように✨
それでは、まいりましょう!!

『進撃の巨人』とは

わざわざ述べるまでもないとは思うのですが、念のためおさえておくと、『進撃の巨人』は、諫山創先生による漫画作品で、2009年9月から2021年4月にかけて『別冊少年マガジン』(講談社)にて連載されました。
一言でまとめると、「巨人」に母親を喰われてしまった主人公のエレン・イェーガーが、「一匹残らず駆逐してやる!」という熱意を胸に、幼馴染であるミカサやアルミンを中心とした仲間たちと共に、「巨人」に立ち向かっていく物語です。

なんて書くと、「あーはいはい、架空の生き物と人間がドンパチやって終わる、よくある少年漫画ね」と流しそうだし、実際、アニメが始まるまで私自身もそう思っていました。
が、実は、「巨人」の正体は人間であるという、衝撃の事実が明かされます。
ここにきてやっと、リヴァイの髪型を真似た妹にそれまで散々ススメられていた単行本を1巻から見始めた私(笑)。

ほんの少しネタバレすると、「巨人」になることができるのは「ユミルの民」という“特定の民族”で、作品中の世界史上、“大戦”を経るなかで“迫害”を受けています。

あれ? あれれ??
同作のベースが北欧神話にあるとはいえ、“特定の民族”が“迫害”を受けるなんて……どっかで聞いたことある話だと思いませんか??

『進撃の巨人』という第三の選択肢

私は、平成3年に生まれました。もちろん、戦争体験はありません。
そんな世代が“戦争”をテーマにしたコンテンツに触れるとき、『火垂るの墓』に代表される体験記系統か、『スター・ウォーズ』シリーズのようなファンタジー系統にたどりつくのがこれまでの選択肢だったように感じます。
ただ、前者は、悲惨な史実に目を背けたくなることがあります。
他方、現実からかけ離れた設定のなかでは、そもそも世界観に入り込むまでに時間を要する(気がする ※私の個人的見解です)。

ここで、『進撃の巨人』は、戦争をテーマにしたコンテンツの第三の選択肢として立ち現れたと思います。

たしかに、同作の設定でいうと、パラディ島の人類は三重の壁内に住んでいて、現実離れした「巨人」が出てきたり、「立体機動装置」のような特有の武器が出てきたりと、あくまでファンタジーです。
次々と展開されていく戦いのなかで、仲間や家族など多くの命が失われます。
ここまでは、『スター・ウォーズ』寄りです。

しかし、『進撃の巨人』では、“戦争”が、さまざまな立場や視点から取り上げられます。
主人公エレン側から、兵団組織側から、壁の外側から、島の内側から、大陸の内側から……

昨日まで、「悪魔」だと思っていた敵が、自分たちと同じ人間なのだと気づきます。
同じように、食べて、寝て、喋って、笑う。
同じように、家族や、友人や、仲間や、大切に思う人々がいる。

それらが、
「しかたなかった」
「ここまできたら、やるしかない」
そういった大義名分で、“戦争”の大きなうねりのなかで、失われていく。
残された者たちが、痛みや苦しみを抱えて進んでいく。
立場は違っても、同じように、傷ついて苦しむ……。

その痛みは、フィクションではないと思います。
いや、フィクションに留めてはいけない。

史実に基づいた戦争作品の一定数が、国内の状況に視点を絞って描かれます。
それは、体験談をベースにしたときに生じる影響かもしれません。
この点、『進撃の巨人』は、立場や生きてきた環境が異なる登場人物たちによって、敵であっても味方であっても、こっち側でもあっち側でも、同じ人間である以上、同じように傷ついて苦しむのだという、当たり前だけれど目を逸らしがちなことに気づかせてくれます。

歴史は繰り返される

もうひとつ、『進撃の巨人』からは、“歴史は繰り返される”ということ、そして、それがいかに愚かなことか、終止符を打つにはどうすべきなのかという、
実社会にも通ずる超重要なヒントを得ることができます。
冒頭で、教科書の代わりに同作を見よう! と述べたのも、そのためです。

みなさん、歴史の勉強は好きですか?
私は、好きです。日本史も世界史も好きです。
高校卒業して干支が一周くらいしたのですが、最近、世界史の資料集を新調しました♪それを眺めながらニヤニヤできます(完全に変人ですねw)
最近の資料集って、すごいですね!
QRコードが巻頭特集についていて、デバイスで読み込むと、当時の動画が観れたりします(ヒトラーの演説とか!)。危うく一日潰れるところでした。資料集については、また改めて記事を書けたらと思ったりします。

さて、私がなぜニヤニヤしながら歴史の勉強をするのかと言いますと、ズバリ、“妄想”しちゃうからなんですね。
「あの場面で反対の選択をしていたら、その後のあの人は、戦は、土地は、どうなっていただろうか」そんなことを考えます(よって、学習の進度としては遅いです。残念💦)。

教科書には、“歴史”が記されています。
ただ、その歴史は、時の勝者が残して(あるいは、残させて)きた記録の集積であって、全てが“真実”であるとは限りません。
歴史修正主義の議論が白熱したり、同じ失策を繰り返したりしてしまうのは、その証拠であるように思います。

なぜ、“戦争”が生じてしまうのか。
なぜ、人を殺してはいけないのか。

その答えは、教科書を開いてもなかなか見えてきません。
あるのは、そのとき存在した(とされる)事実の羅列のみです。

もちろん、教科書の内容を知ることが無意味だとは思いません。
すべてではないにせよ、そのなかに“真実”もありますから。
全体のストーリーとして筋が通る程度に、合理的であると考えられますから。

ただね、なかなか響かないですよね。
想像力を発揮して、妄想力まで駆り出して、記された歴史的事実とは異なったif視点を立ち上げてみないと、単なる「主要科目」の勉強に留まってしまいますし。
仮に、あのときこの選択がなされていれば、と考察することができたとしても検証が困難です。

だったら、擬似体験するのが一番なのです。
可能なかぎり、入り口の心理的ハードルを低く(エンタメとして楽しめるくらいに)設定できると、万人受けしてなお効果絶大✨

……そうです!!
『進撃の巨人』では、それができちゃうんです!!!

もし、自分が、調査兵団の一員になったとして。
登場人物の誰かと同じ立場・状況に置かれたとして。
同じ立場や環境に置かれた際の想像が働かせやすくなるのではないかなと思います。

そういう擬似体験を経て初めて、思うことがあるはずで!!
そんな人が、一人でも増えてくれたら。
ひとり一人の気持ちや声は小さくても、それがたくさん積み重なっていけば、いまある“日常”の維持を、少しでも伸ばすことができるのではないかと考えます。

いまある“日常”は、尊くて脆いから。

ところで。
私のプロフィール等から既にお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、私は、沖縄に住んでいます。

生まれたときから目の前にフェンスが聳え立っていて、鹿児島県以北のことを「内地」と呼ぶ人もいます。
進撃の世界でいえば、シガンシナ区です(笑)
いや……壁外かも?💦(パラディ島であることは確実)
明日、あるいは今日いまこの瞬間、「巨人」が侵襲をかけてきても何ら不思議ではありません。

学校のクラスに一人くらいは、ハーフやクォーターの子がいます。
戦闘機や輸送機が上空を飛び交う毎日で、21時前後まで飛来する音が聞こえるのも珍しくありません。
それが私にとって“普通の景色”です。
いまある“日常”が、明日あるいは今日、突然に失われるかもしれないという危機感と常に共存しています。

別に、私自身は、特定の政治的思想や主義にこだわりはありません。
宗教的な思想や主義に関しても、傍観するばかりの人間です。
誤解を恐れずにぶっちゃけると、基地反対のプラカードを持って抗議している方々の前を、心のなかで労いながら小さく会釈をして通り過ぎるくらいには軽薄です。
なぜなら、この地に軍事基地があるからこそ、徒に他国から攻め込まれることなく、ギリギリ「日本」の領土として存続していることを否定できないからです。

もちろん、軍事力なんて、持たずにいられるならそれが一番です。
ただし、世界規模で。地球規模で。
みーーーんな非武装が、究極の理想形態です。

しかし、人は弱い。
弱いからこそ、縄張りを守ろうとするし、備えずにはいられないんですよね……
(理解はできます、理解は。)

そんな、右?左?…中庸万歳🙌な私ですが(※政治に無関心というわけではない)、
どれだけ頭をひねってみても“戦争”という結論には反対です。


私がいま住んでいる地域は、自衛官も多いです。
仕事帰りの迷彩服のままスーパーで夕食の買い出しをする自衛官を見かけます。
彼・彼女らの手が、まだ身長100センチにも満たない幼い我が子の手を引いていることも珍しくありません。

もし、日本が有事に巻き込まれた場合、真っ先に前線に駆り出されるのは、彼ら・彼女らです。
彼ら・彼女らのご家族に、
「日本のために“殉死”したのだよ。よく頑張ってくれた。素晴らしいことだよ」なんて声かけができるでしょうか。
私は、できません。
残されたご家族のお気持ちを思うと、そんな簡単に言えません。

いよいよ戦況が厳しくなった頃、次に前線に駆り出されるのは、二十代三十代のあなたです。
これまで何の訓練を受けることもなく、日々、寝食して動画を観てゲームをしてきたなんてことない日常が崩れます。機関銃を握らされ、自害用に手榴弾も一つその懐に忍ばせなければならないかもしれません。

おそらく最後の住民を巻き込んだ地上戦にもつれ込むまで、いまの五十代六十代の方々が徴兵されることはないと思います。おめでとうございます。
ただし。いかがでしょうか。
五十代六十代のあなたのお子さんや、甥や姪や、学徒隊まで編成された日にはお孫さんまで、前線に立ち、もう二度と会うことが叶わないかもしれません。
友人や顔見知りの知人や隣人のご家族が、“殉死”するかもしれません。
そんななかにあっても、一部の上級国民やそのご家族は、あたたかい布団のなかで眠ることができるのでしょう。
それでも、「戦争もやむを得ない」なんて結論に至ることができるのでしょうか。

「御国のためならば」そういう理屈を主張されることも構いません。
反対に、人権や平和が一番だと主張されても構いません。

問題は、その議論のなかに、血が通っているのかどうか、ということです。

是非いま一度、ご自身が支持される思想・主義・主張のなかに、
失われるものへの配慮が欠けていないか、
人間としての温度が感じられるかどうか、振り返っていただけますと幸いです。

なんてことない“日常”が、少しでも長く続きますように……

去った6月23日、沖縄では“慰霊の日”でした。
この日、役所や学校はお休みとなり、全県で「平和」を噛みしめます。

6月23日(22日説あり)は、第二次世界大戦のなか日本陸軍第32軍の牛島満司令官が自決し、一応の組織的戦闘を終えた日とされています。
しかし、現代のように「ボス陥落! 戦争おわり!」なんて呟きが波及する時代ではありませんから、その後しばらく地上戦が続きます。

『進撃の巨人』で“地鳴らし”から逃げ惑う人々が断崖絶壁まで追い込まれたように、
最後の激戦地、糸満市摩文仁の丘に人々は追い込まれていきます。
嘘みたいな、本当の話です。

いま摩文仁の丘には、平和祈念公園があり、毎年そこで“全沖縄戦没者追悼式典”が行われます。

県民のなかには、戦没者の遺品すら残っておらず、平和の礎に刻まれた名前だけがご家族の生きていた証だという人も少なくありません。
私の祖父母は戦争を体験していますが、当時徴兵された母方の祖父ですら生きて出会うことができたのは、奇跡としかいいようがありません。
生き残った4人の祖父母は本当に逞しくて、自分たちがどう戦禍をくぐりぬけてきたのかよく聞かせてくれました。
徴兵された祖父のお尻には、弾丸のえぐったあとがあります。
負傷した祖父を見離さず、肩を貸してくれた友人は、マラリアが悪化して命を落としました。
当時のことを語り聞かせてくれた祖父は、生き残ったことに負い目を感じて涙を流していました。祖父が生きのびてくれたからこそ、子や孫がいま存在しているのに、です。

今となっては、祖父も認知症が進行し、私の名前や孫だということすら忘れています。
「風化」は、恐ろしいことです。
忘れられてはいけない、なかったことにできない真実だってあるのです。
世代を超えて、何度も繰り返し内省しなければ、きっとまた同じ負の歴史を繰り返します。

7月に入り、夏の足音が聞こえてきますね。
8月は、6日の広島、9日の長崎、15日の終戦記念日があります。

私たちは、誰もが、クニの存続をかけた戦いのなかを死にものぐるいで生きのびた人々から連なる、命の連鎖の一部です。
あなたがそこにいる、それだけでもう、実は奇跡です。
その奇跡と、失われていった骨肉や、命や、それらが拝むことの叶わなかった未来に思いを馳せ、8月の黙祷をしてみてはいかがでしょうか。

結局は、兎にも角にも『進撃の巨人』を見てほしい!

結局のところ言いたいことは、それだけ(笑)
『進撃の巨人』を見て、命の奇跡に感謝しながら黙祷したあと、これからどう生きていくのか考えてみてほしい。ってところですね、はい。
今年もきっと猛暑ですしね。
コロナの終息なんてほど遠いですから、みなさんステイホームが推奨されることでしょう。
その際は、是非!ぜひぜひ!!
冷房の効いた部屋でですね、時折換気なんかしながら『進撃の巨人』をご覧になってくださいませませ!!!
そして、感想をお聞かせください✨お待ちしております。

以上、長々と6,000字超えて語ってしまいました、普段の私の約3倍量🤣
最後までお付き合いくださったそこのあなた!! 天使です、本当にありがとうございました😭

またのブレイクタイムに、のぞきにいらしてくださいねー
それではまた🍁🍁🍁


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甘川楓(あまかわかえで)
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