見出し画像

青空法廷 【だいたい2000字小説】

漆黒の法服を脱ぎさえすれば、私だって、ただの「人」である。
腹だって減るし、眠くもなれば、欲情もする。
それもすべて、家庭生活が基盤なのであって、その生活のためには金が要る。
私がここに座っている理由は、生きるために他ならない。

悲鳴、というより、もはや叫びですらあった。
本日3人目の女は、なかなかにしぶとく、否認の言葉をところどころ吐きながら濁音混じりの叫びを上げていた。
もっとも、その声は、私を含めた数人の執行人に聞こえるばかりで、広場を取り囲む民衆には届かないようになっている。
女が囲われた80インチほどの木製人形の足元から、砂をかぶった地面の上にじわりと赤黒いものが流れ出てくる。
女が叫び、抵抗するほど、木製人形の内部に数多突き出た鉄釘が、生命の芯を捉えるかの如く身体にむりむりと食い込んでいく。という造りらしいと、この職に任命された際に担当上官から聞いた。

空は、青かった。
雲ひとつない晴天のもと、女が次々と裁かれていく。
罪状は「妖術を使ったこと」。
悪魔と契約した異端を取り締まる大義名分のもと、戦争や流行りの病や刑事事件など相次ぐ混乱の根源が、妖術を使う者いわゆる「魔女」にあるとみなされた。
外では男女を問わない国もあるようだが、戦争にほとんどの男たちが駆り出されたこの町では、もっぱら女が対象に挙げられる。

私は、その裁判の判事である。

女の声がか細くなって消え入る頃、その足元の地面は、半径50インチほどの真っ赤な水溜りと化していた。
木製人形の両脇に控えていた者が扉を開くと、ドサっと音を立てて雪崩出た女の屍が日に当たる。広場を取り巻く民衆が、思い思いの声を上げた。
女は、魔女ではなかったらしい。
いや、魔女だったかもしれないが、あえて妖術を使って逃れることをしなかっただけかもしれない。
観衆の声は、屍となった女を、嘲笑っているようにも称えているようにも聞こえた。
傍に控えていた者たちが手押し車を轢いて屍に小走りで向かい、これを二人がかりで荷台に乗せて去っていく。掃除担当の者が、左に抱えた桶から右の笏で水を打って、木製人形のなかと地面を簡単に流す。

そうして次の舞台が整う。

本日4人目の女が、執行人に腰縄を引かれてやって来た。
腰まで伸びた亜麻色の髪が、風になびく。
ここに来るまでに10日ほど監獄されていたはずだが、女の髪は艶やかで、肌はきめ細やかな透き通る白さを保って頬を薄紅に染めたまま、血色ある唇が真一文字に結ばれていた。
擦り切れた被服の首元から、しなやかな鎖骨と肩先がのぞいている。
木製人形の横に設えた証言台に立った女が、正面から私を見上げた。
灰緑の大きな瞳が真っ直ぐに私の目を見据えると、ゆっくり二度の瞬きをした。
祭壇の上からでもわかるほど長く伸びた睫毛から、微細な光の粒が飛んだ気がした。
なるほど、この女が「魔女」であると告げ口されるのも無理はない。
裁かれる女たちは不思議とみな美しかったが、目の前の女は、段、いや、格違いに美しかった。
おそらく、村に残った数少ない男たちがこれに惹かれ、これを慕い、なかには家庭を省みない者まであったのだろう。
「魔女」だと差し出してきたのは、無下にされた男たちかもしれないし、それらを慕った女たちかもしれない。しかし、そんなことはここまでくると些細な事柄である。

「汝、名を述べよ」

胸の拍動を悟られぬよう、深呼吸をひとつ置いたあとに一番底辺の声色で言った。

「ヒンメルと申します」

女は、静かに、しかし芯の通った鈴の鳴るような声で答えた。 

「罪状は、これを認めるか」

女が、ゆっくりと微笑む。

「認めません。私は、魔女ではない」

それでは、と、幾つか定められた質問を重ねるも、女は、すべてを否認した。

「最後に述べることはあるか」

「あなた方は、決して、我々を捕らえることができない。
我々は、元来自由な存在。
これら裁判は、何の意味も価値も持たず、ただただ善良な罪なき命を減らしていくのみ。そのうち、産める者が指折り数えるだけになった頃、ようやくあなた方は過ちを知る」

そう言った女が顎先で青天を突くと、何やら小さく唱える。
すると、西の方角から、一本の藁箒が飛んできた。
箒は、女を捕らえようとする執行人を払い除け、女を尻もとから掬い上げると、あっという間に上空へ浮かんだ。
手縄を解きながら観衆の上を一度旋回した女は、私のほうを見下ろしてひらひらと左手を振った。

女が、遥か遠のいていく。
我々は、その後ろ姿を見送るしかなかった。
その年3度目の出来事に、私はそろそろ慣れていた。

結局、こうして「本物」は、裁くことができない。
それでも、祭壇の端に座る記録官は筆を走らせることを止めない。後世にはしっかりと「魔女裁判」として伝え書かれるだろう。
「本物」は、得てして指の隙間をこぼれていくというのに……。

空だけが、なお青いままだった。

感謝感激です!!頂いたサポートは、心身の健康と投稿記事たちの血となり肉となるよう、有り難く使わせて頂きます♪