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死に向かう道まであと何日 2日目 〜失敗理由の掘り下げ



失敗理由1 徒歩ルートのリサーチ不足


前話で書いた通りである。ここがいいかもという場所を絞り込めたなら、午前中や日中に何度か行って十分な下見をすれば良かったのだ。
その時は普通にスマホを持って行けばいいのでGoogleマップに頼れる。
また、午前中からしっかりアウトドアっぽい格好で行けば散策(または観光)目的っすよぉー という顔ができる。実際に道中の撮影もしつつルートを覚えれば良い。
それならうろちょろしていても後ろめたい気持ちなど生まれないだろう。

ちなみにどんなローカルな場所でも、散歩や散策が好きな人が「A地点からB地点までの〜」「道中にこんな場所が〜」と写真を残しているブログなどがほぼ確実に見つかると思う。
私は帰宅後に改めて検索したら(ちょっと時間はかかったが)ちゃんと見つかった。これを参考に下見をしておけば良かったと思った。
いわばぶっつけ本番で行ってしまったので、駅から徒歩でどう行くか分からなくなり詰んだのだ。スマホを置いて来たことも仇になった。
土地勘もないくせに「駅から案内板とかあるだろ」なんて考えてはいけない。


失敗理由2 看板から感じた想定外のプレッシャー


たぶん、私が考えたものと同じような条件を求めて同じ場所で決行した人は少なくないのだと思う。
自殺防止系の看板が、これでもか! と目立つところにいくつも置いてあった。
実際私はその場所から若者が飛び降りたニュースを見つけて候補に入れたし、周辺の山で縊死しているのが見つかるケースも定期的にあるようだ。
駅から階段を降りていく時なんて、絶対に視界に入る真正面に2枚も看板が待ち受けていた。

これ系の看板を、私はいつも「死にたい時にそんなのが心に響くわけねーじゃん」と小馬鹿にしていた。
今回、まさに「その目的」の最中にそういう看板を目にして、初めて気付いたことがある。

「お前の目的を見透かしているぞ」と睨まれているように感じるのである。

これにはびっくりした。その感覚を擬音で表すなら「ギクッ」とか「ギョッ」だ。本気で動揺した。本気で動揺していることに自分で驚いた。


自殺目的でその地に降りた直後にああいう看板を見て
「そうだよね命って大切だよね! 反省しましたうわぁぁん!」
となる確率はめちゃくちゃ低いだろうとはやはり思うが、あの瞬間の動揺はそういう類のものではなかった。
冷や水をぶっかけられたような。例えて言うなら学校で何かをうっかり壊してしまった瞬間に先生と目が合ったとか。隠していた何かが親に見つかった瞬間とか。そういう感覚に近いのではないだろうか。
なるほど確かに、自殺防止目的の看板に一定の効果はある。納得せざるを得なかった。

とはいえ、そんな看板がそんな風に置いてあるとは知らなかったことによる「ギクッ」である。これも何度か下見に行っておけば解決した話だ。

失敗理由3 身辺整理をしなかったことによる雑念


「あーアレまあまあいい値段で売れそうだからちゃんと現金化して置いてくればよかったなぁ…」
「スマホの中のあの写真は消して、あの写真はあの人があとで分かるようにして…って仕分けしてくればよかった」
「あのサブスク解約してないな、口座の暗証番号とかちゃんと書き残して来ないと後で周りの人が困るよな……」
「万が一すぐに身元が分かってしまってすぐに遺体が引き渡されたとして、本当に葬儀なんてしなくていいんだけどそういうの書き残して来てないな…」
「あれは自分以外にも欲しがるオタクが確実にいるので、出来ればそういう人の手に渡って欲しいけどどうなるだろう……」
「自分の写真とかできる限り消して来たかった……」

こういう類の心残りが、電車に揺られている間、頭の中に入れ替わり立ち替わりやってきた。
自宅では決行しないと決めている場合、目的地に着くまでの間にこの手の冷静さが沸いて来てしまう可能性は高い。
執着となり得る理由はひとつでも多く捨てて来た方が良いのだと分かった。
要は身辺整理をしておくこと。そしてこれは人にもよるだろうが必要ならエンディングノートなり、法的に効力のある遺言書なりを残して来るということ。

と言うわけで、今後しばらくは身辺整理についての記録が続く。
身辺整理について色々調べたのだがとにかくやることが多い。こうして記録をつけながらでないと挫折してしまいそうなのである。お付き合い願いたい。

くどいようだが、これはフィクションであり「私」は語り部のキャラクターにすぎない。


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