死に向かう道まであと何日 5日目 〜身辺整理 服を売る準備
今日は目次をつけるほどのことでもないので簡単に。
服と靴の大部分を段ボールに入れるところまで終わらせた。今は古着業社の集荷待ちである。2日後くらいに来てくれるらしい。
体力を使ったので疲れたが、今までの大掃除とは違い「選別」の手間が必要ないので楽だった。下見と決行日に着ていける最低限の衣類だけ残っていればいいのだ。
長く着られるスタンダードで良質なもの という基準で服を買っていたため量も多くなかった。体力がない人間なので元々の趣味が幸いに働いたと言える。
オクかフリマサイトに出せばそこそこ良い値段で売れそうなものもある。
それがまた「もったいないかもなぁ…」という値段への執着になりそうな気持ちも出てきてしまう。
が、別に貴重な一点モノという訳でもないので値段については妥協する。一部だけ買い手がつかなかったりしたら逆に面倒だ。
やはり書籍を売った時と同じ寂しさはある。
思い入れのある服も、自分で似合っていると思えて気に入っていた服もある。
気に入っているものを所有出来ている実感と、(現代人としての)生きる感覚というのはもしかして密接に繋がっているんじゃないだろうか。
仏教で出家する時というのは俗世への執着を捨てるために持ち物も最低限にして、髪も剃り落とすようだが
あれはあれで出家後の「修行をしてこの道に一生身を捧げるぞ」という明確な生きる目的と使命感があると思う。
私はその逆で、死を前提とした身辺整理をしながら出来るだけ心残りの雑念をなくそうとしている。生への目的意識なしに所有の実感をなくし執着の対象をなくすというのは、こうもフワフワとしてくるものなのだなぁ。
生物としての生存本能はまた別として、現代人としての「人間社会の中で生きる理由」みたいなものが減っていっている感覚だ。
つまり、身辺整理としては多分正解だ。
この不安定感も寂しさもまた、こういうものなのだと受け入れることとする。