USA
カープファンでもなく、野球をやっていたわけでもないのに、カープの帽子をかぶっていた。母親が、お前は赤が似合うから、という理由で赤いものを買い揃えていたからだ。帽子の他にも、白い筆記体でCoca-Colaのロゴが胸に入った、鮮やかな赤いトレーナーを着ていたこともあった。これは大層目立った。おろしたてのそのトレーナーを着て登校した時のことだ。校門をくぐり玄関に向かう途中で何かにつまずき、前のめりにつんのめった。上半身が折れて、留め具を留めていないランドセルの蓋がペロンとめくれ、教科書やら筆箱やらが、ザラーっと地面に流れ出てしまった。
スイミングスクールでは、ぼくは赤ではなく水色の半ズボンタイプのスイミングパンツを履いていた。巨人の星の飛雄馬のワッペンがついていて、ずいぶん気に入って長いこと愛用していた。スイミングスクールでは、月に一度、記録会というものがあった。速い生徒から順番に泳いで記録を取るのだ。普段の練習は辛くて嫌いだったので、記録会の時は嬉しかった。毎回記録も伸びていて、ぼくの番は割と早くに回ってきた。
コーチの合図で勢いよく飛び込んだ。年季の入った飛雄馬パンツはもう限界だったのだろう、飛び込んだ勢いで紐が切れて、パンツが半分脱げてしまった。そのまま泳ぎ続けることもできず、ぼくはスタート台まで戻って、怪訝な顔をしているコーチに、パンツの紐が切れてしまったことを告げた。替えのパンツはないのか、とコーチは訊いた。ない、と言うと、コーチは、おれのパンツを貸してやってもいいけど流石にお前には大きいよな、と言った。大きさの問題ではなく、コーチのパンツを履くのは、小学生のぼくでも少し抵抗があった。コーチは、家の人に持ってきてもらうことはできないか確認して、持ってきてもらえるようなら、ぼくの順番を最後に回す、という提案をした。家に電話をすると母が出て、姉に新しいパンツを持って行かせる、と言った。
次々と生徒が泳ぎ、残り少しになっても、姉は到着しなかった。コーチに、今回は記録なしでいいです、と言ったが、コーチは最後まで待つから心配するな、と言った。本当にあと数名、というところで姉が到着した。ぼくは姉からパンツが入った袋を受け取り、大急ぎでロッカールームに向かった。袋を開けてみると、中には何やら赤い小さな布が入っていた。それは、赤を基調としたビキニタイプのパンツで、所々に紺色や白の大小の星と「USA」の文字が散りばめられた、ド派手なパンツだった。ぼくには躊躇する時間はなかった。
プールに戻ると、もうみんな泳ぎきっていて、プールサイドに行儀良く座り、ぼくを待っていた。みんながぼくに注目していた。コーチは一瞬びっくりしたような顔をしたが、すぐにぼくをスタート台に促した。再び、スタートの合図で飛び込んだ。新しいパンツはやや心許ないものの、履いていないかのように肌にフィットして、泳ぎやすく、楽々と記録を更新した。コーチは、やったな、という感じで頷いた。
最近は、赤いものを身につけることはあまりなくなってしまったが、あと5年もすれば、赤いものを着ることになる。幾つになっても、赤はぼくにとって、母の愛を感じる色なのだ。