クラスには、それほど勉強ができるわけではないが、何となくクラスの中心にいるような、世話好きな女の子がいた。男子生徒とも仲が良く、先生にも一目置かれているような子だった。彼女はみんなからマッコと呼ばれていた。マッコには他のクラスにも仲の良い子がたくさんおり、情報通でもあったので、何かが起こると彼女は色々な情報を集めて、時にはアドバイスをしたり、時には文句を言ったり、情報を広めたりした。 ある日、女の子の転校生がやって来た。マッコはその子を自分のグループに招き入れて、一緒にお弁
高校の体育会系の部に入部する生徒の殆どは、中学生の時と同じスポーツの部に入部するか、中学校にはあまりない、ラグビー部やアメフト部などにチャレンジする場合かの何れかで、中学生時代に殆どスポーツをしてこなかった生徒が、いきなり高校から体育会系の部に入ることは、ごく稀だった。永井は、そんな稀な生徒のひとりだった。 サッカー部に入部した初日、始めに新入生は1人ずつ自己紹介をした。新入生は6人おり、経験者はぼくを入れて5人、永井だけが未経験者だった。北海道の春は雪解けもあまり進んでお
キタガキは、絶対に半ズボンを履かないやつだった。どんなに暑い日でも、体育の時間であっても、長ズボンで通した。誰もそのことについて何も訊かなかった。ただ、キタガキは半ズボンを履かないやつなんだな、というだけのことだった。それがカッコいいことだとも思わなかったし、カッコ悪いことだとも思わなかった。無関心というのではなく、地球が自転しているのを意識しないのと同じように、当たり前のこととして特別な意識をしていなかった。 運動会が近づくと各競技に向けた練習が始まった。団体競技のひとつ
ある日曜日の朝、ぼくは近所の公園で、オモチャのようなグローブをはめて、セカンドを守っていた。たまに父親とキャッチボールをする程度で、野球のルールなど殆ど知らないのにも関わらず。 仲間はずれについて話し合う、それが、ある日の道徳の時間のテーマだった。「うちのクラスに仲間はずれはありますか?」先生がズバリと訊いた。あります、と言える雰囲気ではなく、みんなが押し黙る中で、ひとりの生徒が、「仲間はずれというわけではないんだけど」と切り出した。彼の言い分は、「野球をやる時に、リトルリ
転校してきた初日、昼休みが終わると体育館に促された。訊くと、これは「広場の時間」なのだと言う。全校生徒が幾つかのグループに分かれて集合しており、ぼくもその中のひとつに加わるように言われた。全く訳がわからぬまま参加すると、そのグループは「水玉グループ」と呼ばれており、一年生から六年生で構成されているのだと、リーダーらしき生徒が教えてくれた。その日は、グループ対抗のゲームをやり、終わるとみんなが満足気な顔をして、教室に引き上げていった。 広場の時間は毎週水曜日の昼休みと5時間目
転校したばかりのクラスで、ぼくにあだ名が付けられた。つけたのは、背が小さくて、2年生にして口の周りにうっすらとヒゲのような産毛が生えた、どことなく不潔な感じのする、クラスでもあまり好かれてはいない男子だった。ぼくの名前は漢字で書けばそう読めるのだが、彼はそれを、投げ捨てるように、吐き捨てるように言うので、それがすごく嫌だった。やめてくれ、と何度も言ったが、彼はもちろんやめなかった。(そのうち、他の子たちも、親しみを込めてそのあだ名でぼくを呼ぶようになり、ぼくもいつの間にかそう
カープファンでもなく、野球をやっていたわけでもないのに、カープの帽子をかぶっていた。母親が、お前は赤が似合うから、という理由で赤いものを買い揃えていたからだ。帽子の他にも、白い筆記体でCoca-Colaのロゴが胸に入った、鮮やかな赤いトレーナーを着ていたこともあった。これは大層目立った。おろしたてのそのトレーナーを着て登校した時のことだ。校門をくぐり玄関に向かう途中で何かにつまずき、前のめりにつんのめった。上半身が折れて、留め具を留めていないランドセルの蓋がペロンとめくれ、教
5年生になって、ぼくのことを「学級委員」と呼ぶ男子が現れた。たしかにぼくは学級委員だったのだが、彼の呼び方には多少の悪意がこもっていた。何でもかんでも、学級委員なんだからお前がやれよ、という感じだった。彼は、いじめっ子というわけではなく、かと言ってガキ大将というのとも違う、気に入らないものに対しては気に入らないということを表に出すような、ハッキリした子だった。おかっぱのような髪をして目がギョロリと大きく、エラの張った顔をしていた。いつも着ている黄緑のジャージと、しゃがれた声が
彼女は、頭も良くて、運動もできて、背もスラッと高く、ハーフかと間違うような日本人ぽくない顔立ちをしており、そして何よりも正義感が強かった。たとえ先生にでも、それが間違っていると思えば、間違っていると思う、とハッキリ言えるような子だった。彼女はクラスメイトから好かれ、信頼されており、クラスの中心にいた。それでも決して偉ぶったりすることはなく、誰に対しても優しくて平等だった。 担任の先生は感情の起伏が激しい先生で、怒る時は、粘着質とも言える嫌な怒り方をした。ある時、このクラスの
クラス替えがあって、今まで知らなかった子たちと同じクラスになる。そこで友情が芽生えたり、気に入らない奴を発見したり、気になる女の子の存在を知ったりする。女子の中でも男子の中でも、新しいグループができ、男女の人気者のグループ同士が、どこか半目し合いながらも、意識し合って、一緒に遊んだりするようになる。6年生になって、ぼくは人気者のグループの一員となった。ぼく自身は人気者でもなんでもなかったが、人気者と少し仲が良かったから、という理由で一緒にいた、というのが正しい。人気者の女子グ
ぼくの家族が住んでいた部屋は、社宅の2階の一番端の角部屋で、部屋の前を人が行き来しないので、冬は冷蔵庫代わりに、廊下に野菜や果物を置いたりしていたのだが、ある時から、廊下に箱ごと置いてあるミカンが少しずつ無くなるようになった。初めのうちは気のせいかと思ったが、量が少なくなってくると減りが目立つようになり、あれ?と思うことが多くなった。同じ社宅の人がそんなことをすることもないから、外からやってきた誰かがこっそり盗っていっているのではないか、ということになった。物騒だし、泥棒なら
転校してきた時から、ノリくんは何となくイヤなやつだった。挨拶が妙に堂々としていて、みんなよろしくな!というような太々しさがあった。転校生にあるべきはずの遠慮のようなものが感じられなかった。何をしても許される、とか、そんな類の傲慢さが漂っていた。 ノリくんの家はぼくの住む社宅の向かいに立つ瀟洒なマンションで、子どもにはマンションと社宅の区別などつきもしなかったが、お金持ちだなというのは、どこかで感じ取っていた。ノリくんの家に遊びに行くと、いつもいい匂いがした。ノリくんは一人部屋
スイミングスクールに行く日はいつも気分が重く、学校からわざとゆっくり歩いて帰り、「今日は遅くなっちゃったから行かなくていいよ」と、母が言ってくれるのを期待したりした。でもそんなことは一度もなく、母は、いつも社宅の前で待っていて、ランドセルと引き換えにスイミングバッグを渡し、まだ間に合うから行っておいで!と言うのだった。学年が進むと、センイチくんはスイミングスクールに通うのをやめてしまったので、ぼくはひとりで通うようになっていた。 スイミングスクールには、他の学校の子どもたちも
ませた子ども、というわけではなく、大人のような子ども、子どもの皮をかぶった大人こども、センイチくんはそんな友だちだった。全体的にまとっている雰囲気が、よその家のお父さん、という感じで、小学生特有の、無邪気で無知な雰囲気が感じられないのだった。背が高く、頭が大きくて、紅白帽をかぶると、帽子がチョコンと乗っかっているような感じだった。半ズボンがにあわなくて、目がギョロリと大きく、少しだけ歯が出ていて、いつもフガフガと息をしていた。 センイチくんもまた同じ社宅に住んでいて、しかもぼ
スーパーカーブームがやってきて、みんながにわかに色々な車に詳しくなった。ランボルギーニカウンタック、ポルシェ、ランチアストラトス、フェラーリ…そんな中で、スーパーカーではないが、イソ・リヴォルタというイタリアの車が、僕らのクラスだけで少しだけ有名になった。名前を漢字で書くと「いそり」と読める生徒がいたからだった。 学年によっては、4月になるとクラス替えがあって、その時の最初の席は出席番号順、つまり、五十音順になることが殆どだった。彼は出席番号順でぼくの席の前になり、すぐに友
四年生の担任は、他の学校から転任してきた先生だった。転任の先生なので、どんな先生なのか情報がなく、ぼくらは少し緊張していた。背は低めで少しだけ肉付きが良く、七三にきっちり分けられた髪と、青々とした髭の剃り跡が印象的だったが、自己紹介をした声がとても良い声で、見た目とのギャップに驚かされた。音楽の先生だと知り、道理で、と納得した。先生は「ぼくはみんなのことを『さん』も『くん』も付けずに下の名前で呼ぶからね」と、良い声で高らかに宣言した。三年生の時は、苗字に「さん」付けで呼ばれて