ジャンヌ・ダルク
彼女は、頭も良くて、運動もできて、背もスラッと高く、ハーフかと間違うような日本人ぽくない顔立ちをしており、そして何よりも正義感が強かった。たとえ先生にでも、それが間違っていると思えば、間違っていると思う、とハッキリ言えるような子だった。彼女はクラスメイトから好かれ、信頼されており、クラスの中心にいた。それでも決して偉ぶったりすることはなく、誰に対しても優しくて平等だった。
担任の先生は感情の起伏が激しい先生で、怒る時は、粘着質とも言える嫌な怒り方をした。ある時、このクラスのみなさんは、もう少し大人になった方がいい、と先生の小言が始まった。耳たぶをいつもいじって口を動かしているような人は、まだお母さんのおっぱいが忘れられないでいる、だからブクブクと太ってしまうのだ、そんな子は自分のことを恥ずかしいと思いなさい、と、名前こそ出さないものの、みんながある生徒のことだと特定できるような怒り方をした。その生徒は真っ赤になって俯いていた。彼女は黙っていなかった。スクッと立ち上がり、今のは酷すぎる、と訴えた。先生は一瞬戸惑ったものの、酷すぎるというのは、あなたが誰かのことを勝手に思い描いたからであって、その方が酷いことだ、と、狡く逃げた。
それから数日後の算数の時間に、先生が問題を出した。分かる人は手を挙げて、と先生が言い、彼女が指された。違う答えの人はいるか、と先生が言うと、普段はとてもおとなしくて目立たない男子生徒が手を挙げて、自分の答えを言った。先生は、みんなに目をつぶらせて、正しいと思う方に手を挙げるように言った。ぼくは、おとなしい子の答えが正しいように思い、そちらに手を挙げた。すると先生は、今手を挙げている人はそのまま立って下さい、と言った後、みんなに目を開けるように言った。立っているのは、2人だけだった。みんなの注目がぼくら2人に集まる中、先生は、正解はぼくら2人の方だ、と言った。そして、みなさんは本当に正しいと思う方に手を挙げたのか、ある人の答えはいつも正しいと決めつけていたのではないか、いつも正しいなどと言うことは決してないのだ、と続けた。
その出来事があっても、彼女への信頼は失われず、ぼくなどは寧ろ、先生が彼女をおとしめるための材料になってしまったのではないかと思い、彼女に対して申し訳ない気持ちですらいた。
クラスでは、名前の各文字の段を、あ段なら1、い段なら2、というように数字に置き換えたもの(タナカタロウであれば111153)を、2人分横に並べて書き、隣り合った数字同士を足した数字の下ひと桁をその下に書き、逆ピラミッドのように順々に計算していって、最後に残ったふた桁で、その2人の相性が分かる、という占いのようなものが流行っていた。最初に書いた人が、後に書いた人をどれだけ好きなのか、という、他愛もないものであったが、その数字に、冷やかしたり慰めたり、みんなが一喜一憂した。色々な組み合わせが試される中、彼女とぼくの組み合わせが試されると、その数字にクラスは騒然となった。99だったのだ。何度か計算し直され、その数字に間違いがないことが分かると、盛大な冷やかしが始まったのだった。
それからしばらくして、彼女は転校した。そして手紙が来た。手紙の中では、彼女はぼくのことを下の名前で呼び捨てで呼んでいた。元気でやっているか?と、男の子のような文調で、手紙は始まっており、新しい学校には少しずつ慣れてきたこと、演劇部に入って先輩にしごかれていること、今練習している芝居では、主役のジャンヌ・ダルクをやることなどが綴られていた。最後に、ぼくのことが好きだ、と書いてあった。
多勢になびかなかったぼくのことが気になっていたのか、99という数字が彼女に魔法をかけたのか、それとも頼りないぼくをジャンヌ・ダルクは守ろうとしてくれたのか、彼女がぼくを好きになった理由は分からない。女の子から好きだと言われたのは、ぼくにとってはそれが初めてで、嬉しさと戸惑いの中で、ぼくは未だに返事を書けていない。