イソ・リヴォルタ
スーパーカーブームがやってきて、みんながにわかに色々な車に詳しくなった。ランボルギーニカウンタック、ポルシェ、ランチアストラトス、フェラーリ…そんな中で、スーパーカーではないが、イソ・リヴォルタというイタリアの車が、僕らのクラスだけで少しだけ有名になった。名前を漢字で書くと「いそり」と読める生徒がいたからだった。
学年によっては、4月になるとクラス替えがあって、その時の最初の席は出席番号順、つまり、五十音順になることが殆どだった。彼は出席番号順でぼくの席の前になり、すぐに友だちになった。彼は、スーパーカーブームの中で、自分のことを「ポルダーマンと呼んでくれ」と言った。正しくはヴォルターマンだったのかもしれないが、その頃、正しい発音などは気にしなかったのだろう。その後、誰かが彼のことをポルダーマンと呼んでいるのを聞いたことはなかったが、ぼくだけは、時々彼のことをポルダーマンと呼んだ。
ポルダーマンは、とにかく泣き虫だった。学校から一緒に帰ってくれなかったと言っては泣き、遊んでいて転んでは泣き、ちょっと素っ気ない態度を取っただけでも泣いた。ポルダーマンは垂れ目で出っ歯で、普通にしているだけで笑っているような顔に見えたので、泣き始めが、これから大笑いをするのではないかと間違えることもあった。ポルダーマンの機嫌を損ねて泣かせてしまうと、中々元に戻らなかった。いくら謝っても何を言っても「いんだもん、もう」と言って取り合ってくれなかった。クラスでポルダーマンをコントロールできるのはぼくだけだと思われていて、誰かがポルダーマンを泣かせてしまった時は、必ずぼくが呼ばれた。そんな時に、ぼくは彼のことを「もう泣くなって。ポルダーマンなんだろ」と言って慰めたのだった。
ポルダーマンを慰めるもうひとつの手段がピンクレディーだった。ポルダーマンはピンクレディーに目がなかった。ピンクレディーの話をすれば、ポルダーマンは機嫌を治すことが多かったが、彼が知らないことでぼくが知っていることなどは殆どなくて、「そんなの知ってるもん」「そんなことで仲直りしてあげないもん」と言われてしまうことも多かった。
ピンクレディーに関しては、ポルダーマンはエンターテイナーで、新曲が出れば、歌はもちろん、振り付けまですぐに覚えて、学校で披露したりしていた。そのお陰で、学期末に行われたお楽しみ会では、ぼくは不本意ながら、ポルダーマンと一緒に「UFO」を振り付きで歌わされたりもした。
ぼくの家の周りには、幾つかの企業の社宅があり、ポルダーマンもその社宅のひとつに住んでいたので、同級生で集まっては、缶蹴りやドロケイをやって遊んだ。ある日、ぼくがドロボウとして参加した時に、ぼくが隠れた場所にたまたまポルダーマンもいた。ポルダーマンは、見たことのない赤いジャージを着た、目がクリッとした可愛らしい女の子と一緒だった。ポルダーマンは、ちゃんと説明するのが照れ臭かったのか、同じ社宅に越してきた、同じ学年の「今川焼き」だと紹介した。そして、ドロケイのルールを今川焼きに優しく説明していた。ケイサツが来たらとにかく逃げるんだ、でも、捕まっても、必ずおれが助けに行くからな、と。今川焼きは、「分かった。でも大丈夫。脚には自信があるから」と、本当のドロボウのように、少し上気した顔で言った。ぼくは少しポルダーマンが羨ましかった。
ポルダーマンは、ドロケイでも、捕まってしまうとよく泣いていた。でも、今川焼きと一緒にいる時のポルダーマンは、凛々しかった。泣き虫だった男の子が男になっていくのを、幼虫がサナギになっていく姿を、ぼくは見ていたのかもしれない。ポルダーマンを思い出す時、ぼくは今川焼きのことも思い出して、微かな嫉妬の気持ちも思い出すのだ。