大人こども
ませた子ども、というわけではなく、大人のような子ども、子どもの皮をかぶった大人こども、センイチくんはそんな友だちだった。全体的にまとっている雰囲気が、よその家のお父さん、という感じで、小学生特有の、無邪気で無知な雰囲気が感じられないのだった。背が高く、頭が大きくて、紅白帽をかぶると、帽子がチョコンと乗っかっているような感じだった。半ズボンがにあわなくて、目がギョロリと大きく、少しだけ歯が出ていて、いつもフガフガと息をしていた。
センイチくんもまた同じ社宅に住んでいて、しかもぼくの家の隣がセンイチくんの家だったので、一緒に登校することも多かった。センイチくんは植物に詳しく、道に咲いている植物を指差しては、あれは何という植物で秋になると赤い実がなるが食べられないのだ、とか、あの葉っぱは天ぷらにすると美味しいのだ、とか、凡そぼくには興味のないことをフガフガと話すので、一緒に学校に行くのはあまり好きではなかった。自分の知らない植物を見つけたりすると、ランドセルから図鑑を取り出して調べ出すこともあった。朝それをやられると、遅刻しそうで困ったものだった。ある時には「みんながぼくのことを植物博士って言うんだけどどう思う?」などと訊いてきて、ぼくを更に困らせたりもした。センイチくんはきっと、そうだよね、植物に本当に詳しいもんね、と言って欲しかったに違いないのだが、ぼくはまだ、そんなお世辞めいたことを言えるほどに大人ではなかった。センイチくんとは同じクラスになったことはなかったので、クラスメイトと仲良くやれていたのか少し心配ではあったものの、勉強も良くできたようだし、クラスメイトから植物博士と呼ばれるくらいなのだから、一目置かれた存在ではあったのだろう。
その頃、ぼくの家には車がなく、センイチくんの家もまた、車を持っていなかった。そこには何となく口には出さないシンパシーのようなものがあったのだが、ある日、「うち車買うことになったんだ」と、センイチくんが言った。少し困ったような顔を作りながらも、喜びを隠しきれないような、そんな顔だった。その日から、センイチくんは道行く車を指差しては、あれはどこどこの何という車で排気量は何c c、あの車はカッコいいけど燃費があまり良くない、などと、やはりぼくには興味のない話をするようになった。そして車がやってきてからは、社宅の駐車場を通るたびに、あれがうちの車なんだ、と言って、ぼくを困らせるようになった。いくら車に興味のないぼくでも、一度教えてもらったら、どれがセンイチくんの家の車なのかくらいは分かる。
それでもぼくは、あることについてはセンイチくんを頼りにしていた。頼りにしていたと言うよりも運命共同体として拠り所にしていた、と言った方が正しいかもしれない。その頃ぼくは水泳を習っていて、それがとても苦痛だった。そしてその苦痛を、センイチくんと分かち合っていたのだ。センイチくんはぼくよりも泳ぎが苦手で、スイミングスクールのある日は、朝から口数も少なかった。口に出して「今日は憂鬱だね」と言うこともあった。センイチくんがスイミングスクールを苦痛に思うことがぼくの苦痛を和らげたわけではないが、苦痛を感じているのがぼくだけではないと感じられることで、多少救われていたのだ。スイミングスクールへは、2人とも自転車で通っていた。行きは登り坂で、それも憂鬱を助長したが、帰りは下りで、憂鬱な出来事を乗り切った開放感も手伝って、ぼくもセンイチくんも陽気だった。
ある日、スイミングスクールを終えて、2人で社宅の駐輪場に自転車を停めようとしていた時のことだった。センイチくんが自転車のスタンドを立てようと力を入れた瞬間に、ブリッ、と音がした。センイチくんがオナラをしてしまっだのだった。センイチくんは困ったような顔をして、「最近胃の調子が悪くって…」と言った。
凡そ子どもとは言えないような、そんな言い訳をするセンイチくんのことを、ぼくはやはり少し苦手だな、と思った。
今、センイチくんは、当たり前だが、大人こどもではなく、立派な大人になっているはずだ。胃の調子が悪い、と言っても、誰も違和感を感じないだろう。もしかしたら本当の植物博士になっているかもしれない。もしなっていたら、ぼくはきっと素直に、すごいじゃないか、と言えるだろうと思う。