3.11に寄せて
被災していないのに、未だに津波の映像を直視できません。
大切な人、場所、生活を失った方々の悲しみを映し出すテレビを切ってしまいました。
ごめんなさい。
未熟な私を許してください。
10年経ちますが、あの時のショックを未だに消化できていません。
祈ります。
特定の宗教には属しませんが、どこかにこの祈りが届くと信じて。
亡くなられた方々の魂が安らかでありますように。
そして、こうも思います。
大切なものを失った方々の悲しみが癒えますように。
けれど、この願いは傲慢かもしれない。
悲しい記憶と一緒でも、失ったものたちの記憶と共にいたい方々もいるかもしれない。
だから、今生きている方々への祈りは私の願いではなく、
その方々それぞれの願いが叶いますように
そんな、ふわっとした曖昧なものかもしれない。
でも、それで良いのだと思う。
10年後の今日は、どうかあの日に心を痛めた方々の願いが叶いますように。
深く、願い祈らずにはいられない。
偽善だとしても、もしもこの祈りが届く可能性が少しでもあるならば、私は何度でも偽善を行おう。
10年前の、3月11日の記憶とともに。
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