あの日の空はレモン色(ショートストーリー)
いとも簡単に、私は恋におちたのだ。
大切な数学の期末テストの日。
コンパスを忘れてしまって途方に暮れていた私に、隣の席の彼はスッと私が求めていたそれを差し出してきた。
「2個持ってるから使いな」
素っ気ないが、彼は間違いなく私の救世主だった。
彼はクラスで目立つ存在ではないが、つかず離れず色々な人とうまくやっていける人だった。
コンパスを返した時、改めて彼の表情を窺う。
なんとも感情の判別はつかない顔つきではあったが、それよりも私は彼がきめの細かい肌を持ち端正な顔立ちをしていることに気付いてしまった。
その日から、私は無意識に彼の行動を目で追い言動に耳を傾けた。
彼の仕草、口からでる言葉、その世界。
全てが私にとって特別に見えた。
帰り道で、何度か彼を見かけた。
いつもイヤホンで何かを聴いていた。
あのイヤホンから流れる音楽は一体どんなものなのだろう?
ある日、ついに私は意を決して帰り道の彼に話しかけてみた。
「あの」
反応がない。
イヤホンをしているからか。
私は駆けて、彼の至近距離へと近づく。
「あのさっ」
彼の肩がびくっとする。
立ち止まり、彼が片方のイヤホンを外す。
「…なに?」
彼が私を見つめているという事実にどきまぎし、なかなか言葉が出てこない。
不思議そうに私を見つめる彼。
「な、なに聴いてるの?」
彼は、ワイヤレスイヤホンの片方を黙って私に差し出す。
流れている音楽は私の知らない、けれどもどこか懐かしくもあり切なくなるようなピアノのメロディーに綺麗な女性の声が載っている曲だった。
「この曲が、好きなの?」
彼は黙って頷く。
あの日はいつか遠くなる
けれども忘れないよ
あのレモン色の空を
レモン色の空とはどんな空なのだろう?
彼は、この歌詞をどう思っているのだろう?
「…レモン色の空かあ。どんな空かなあ。」
彼はじっと私を見つめた後、なぜか恥ずかしそうに俯く。そして口を開く。
「昼と夕方の間くらいの空じゃない。ほら、今みたいな。」
空を見上げる。
目の前に広がる空は、レモン色なのだろうか?
少なくとも、彼にはこの空がレモン色に見えているのだ。
彼と私が見ているこの空が違う風に見えている。
その事実に、私はどうしようもない切なさを覚えた。
私は、彼にはなれない。
私の目は、彼と同じ世界を映さない。
何故だか目には涙がこみ上げてくる。
でもね、私あなたがとても好きだよ?
あなたがレモン色だというこの空を、私もレモン色だと感じたいくらいに。
涙を堪えながら、私は頷く。
曲はリピート再生されている。
再びあの歌詞が流れる。
あの日はいつか遠くなる
けれども忘れないよ
あのレモン色の空を
*
若さの美しい部分を書きたかったのですが、いかんせんあまり楽しい若い時代を過ごさなかったからあまりリアリティない感じになってしまいました…
ちなみにテストの時にコンパスを忘れてクラスメイトの男の子が助けてくれたのは実話です(感謝はしても、恋はしなかったですが…)
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