小1から 『ドンキーコング』 を、 中2 までやっていた。 小1〜中2。約7年間。 幼少期の7年間は、すんごい。 体感で30年くらいはある。 途方もくれるように時間の流れが遅く、 毎日毎日が、もう!長すぎる。 そんな小1から見た小6はとびきり大人で、 中学生など、 はるか未来の存在だと思っていた。 そのはるか未来の彼方までアホのようにやっていた、ドンキーコング。 取り憑かれたようにやっていた、 ドンキーコング。 ほぼ呪具。 あたくしは小1の時に親戚の家
3ヶ月前? くらいに、本を出しますた。 『へんなの』 という本で、 少年時代にあれだけ 「文字とはオサラバ」 「文章だけの本って、マジ☆キモ」 「将来ぜったい関わらないで賞」 と謳っていたあたくしが、本を出しました。 どうなってるんでしょうか。 本を出すにあたって 出版社さんや編集さんと話してくうちに、 「どうやらこれは皆さん、素晴らしい本になることを望んでいるな?」と気がつきました。 あたくし以外、関わってくれた方々が一丸となって「素晴らしい本を作りましょ
このあいだ、 久しぶりにうんこを漏らした。 オナラかと思った。 最初はオナラかと思ったから、こいた。 信用してた。 僕は、自分の「肛門」を信用してた。 嘘つかない子だと思っていた。 そして、 肛門が『オナラですよ』って言うから、 オナラをこいてみたら、 「パフ!」 みたいな、音が出た。 信じられなかった。 もう嫌だ。 僕は、、 これまで、 外で、 街で、 何回 うんこを漏らしただろう?! そして これからの人生、 あと、 何回
ずーーーっと、 ぜんぜん思い出せない歌がある。 「まーわーるぅーこの大地にぃ〜」 みたいな歌詞なんだけど、 ここ10年くらい、まったくわからないまま どんどんわからなくなってきた。 会う人会う人に 「この歌なんだっけ?!」て聞くんだけど みんなまったくわからない。 最近は、 「まわる その大地に 歌詞」と調べても、 そもそもそんな歌詞ないことが判明した。 歌詞が違ってたのだ。 ずっと間違えた歌詞のまま、人々に聞いて回っていた。 ひょえー! しかし
「よくわからないこと」を、「よくわからないまま」答えを出すのが大好きで、 算数のテストで 125✖️55.6÷2= みたいな答えに、 「わかりませんが、 もしかして50とかですか?」 と答えたら 「❌ 」 だけつけられたそのテストを見て、 「のひょ〜〜っ😆」 と思っていた。 この「のひょ〜〜っ😆」がたまんなくて、 わからない問題を、よくわかんないまま出す ↓ ❌ ↓ 「のひょ〜〜😆!」 これがもう、「のひょひょ」だった。 この感覚、わかる人
子どものころ、 今みたいに、わからないことをすぐ携帯でポンと検索できたり、Wikipediaとかもない、 昭和と平成。その間のギリギリな空気を味えた わからないことが、ずっとわからないまま存在する、へーんな時代だった。 『1999年、人類は滅亡する』 ノストラダムスの大予言 その予言を信じて、小学生のとき、 夏休みの宿題をしなかった。 ノストラダムスのおじさんは、僕たちみたいな「宿題したくない子」にとって、スーパーヒーローだった! なんたって、おじさんのせい
あたくしは、 小学校四年生の時、すこぶるに頭が悪かった。 成績は、ゲボ吐くくらい悪かったのだろう。 担任の先生が、家庭訪問の時に 本当に褒める所がなかったのだろう。 「明るい。元気、明るい。いい子!」 その話題だけで1時間、しのいでみせた。 母親はそれを察知して、 「このままでは息子はとんでもないバカになる」 と思い、僕を本屋に連れて行った。 そして、なにか教養にいい本がないかと探していた。 母親と2人で漫画コーナーを見ていた。 母親が困るのが、僕が漫
このあいだ、M-1グランプリという大会の、敗者復活戦の前に天竺鼠川原さんに会った。 美味しいハンバーグをご馳走してくれながらも、M-1の話になって、 敗者復活戦からよもや決勝に行った時に、 「大舞台でさ、くに(あだ名)には 人生棒に振るようなことをやってほしいなあ〜。」 と言った。 すごくしっくりきて、最高だった。 そりゃそうよ! と思うた。 「死んでからさ、神さまとかがいて、スクリーンみたいなやつに自分の人生が映し出されて、それをみーんなで見るんやけど、ここ
オラのじいちゃん、 名前は正美。 原田正美。 「正美(まさみ)て、女の子みたいな名前だね!」 そう言ったら、「なんだあ!」と、 嬉しそうに笑う。 記憶で1番古いのは、子ども用のビニールプールで自分が溺れたとき、こっちを見て指差して笑っていたじいちゃんだ。 後に聞くと「あんな浅いビニールプールで溺れたのがおかしくてなあ!ハハハ」と笑ってたけど、あのまま死ななくてよかったと思う。 小学校のときは、夏になると、一緒に近所の山にセミの抜け殻をとりに行ったり、カミキリム
このあいだ、ふとポイズンガールバンドの阿部さんに連絡をした。 「高尾山、行きませんか?」 とメールすると、 「今から行く?」と阿部さんから。 時刻は22時。 阿部さんの、いつも本気か冗談かわからない感じで言ってくるそれが好きで、 夜中で山登りなんて、なんにも見えないですよ、あぶないですよー、と言うと、 「とりあえず、飯くってから行くか〜」 と メールがきた。 本気だった。 なんとか後日という話で約束して、それなら明日、待ち合わせは、朝7.54分新宿発の高
コロッケ美味しい〜! いやーん✨ コロッケ美味しい〜! いやーん✨ 駅前で売っててん✨一つ80円で売っててーん✨ このコロッ、、え? これコロッケじゃないの?! これ、え?!えー!? まじかあ!!〜 コロッケじゃないのらー!! じゃあさ、 オフの日の五木ひろし 載せとくね! 載せといた! いやーん🙀 🙀 🙀
小学校の同級生に「まことくん」という子がいた。 1.2年生まで一緒のクラスだったまことくんは、3年生からは特別学級に入り、自分たちとは別のクラスになった。 トンボやザリガニを捕まえるのが好きなまことくんは、僕の家からすぐの近所の山や川でよく遊んでいて、 そこで取れたザリガニをプラスチックの水槽に入れて、よく見せてくれていた。 まことくんは、大きな声で 「くんちゃん! あっちの川さ、 でっかいザリガニおるがよ〜 見たことある〜??」 そう聞いてきた。 1.2
「セーラームーンが町にやってくる!!」 親戚の「りえ」ちゃんが言った。 「セ、セーラームーンが、ここに来るがけ?!!レイちゃんは??レイちゃん!」 アタシが聞き返すと、 「もちろん、、、来るよ!!!!」 りえちゃんが言った。 「美少女戦士セーラームーン」は当時、全国の女の子たちにめちゃくちゃ人気があって、自分は男の子だったが、親戚の一つ年上の、りえちゃんの影響で、セーラームーンに熱狂していた。 セーラームーンの中でも、 僕は「レイちゃん」こと、火野レイというキ
Qちゃんへ またさ! 缶蹴り。 やろう! アタシは。 子どもの頃から、まったく勉強せず 暇さえあれば漫画を読んだり、外で遊んだりしていた。 缶蹴りにいたっては、中学生までしていた。 中学校三年生、近所の小学校の校庭で、日が暮れて何も見えなくなるまで缶蹴りをやっていた。 暗い輪郭の友達たちが、次々に「帰るわ〜」と帰りだす中、僕と、もう1人の暗い輪郭。 みんなから「Qちゃん」とあだ名がつけられていた、東海くん(Qちゃん)だけは真っ暗になっても缶を蹴っていた。 Q
今日僕は、楽しく友達たちとズームで飲んでいた。 トンカツタン森本くん、チェルミコの真海子ちゃんのメンバーで、 最近どう?など、 最近、ね?、、、どう??など、会話がはずんでいた。 そんな中、いきなりトンカツタン森本くんが 「国崎さん!!いい加減にしてください!!いつまでノート無料でやってるんですか!!サポート機能解除して下さい!!無料でノート書いて、サポートも受けないで、あんたはなんていい人なんだ!!ふざけるな!くうう!」 と泣きだしたのだ。 なだめるように僕が
ちょっとまって、ちょっとまって! ちょっとまってぇーー!!! プリクラ撮るってのに!! ちょっとまって、ちょっとまって あげりシャスなんですけど!! マジあげりシャスなんですけど!! ちょっとまってー!!! マジでマジであげりシャスなんですけど!! ちょっ、ちょっ、まってまってー!! まってー!! まってーーー!! やっぱ大丈夫!! よっしゃ!! やっぱりまってーーー!!! まって、え? 泣いてない? あんたソレ、泣いてない?? あ、泣いてな