雨の夜

  夜の雨が嫌いだ。理由は簡単だ。雨の夜、青信号の横断歩道を渡っている時に車にはねられたからである。携帯電話で通話中、手前の信号を見落とし遠くの青信号と見誤ったそうだ。
 なんだ、この衝撃。あ。車にはねられたのか。左肩をぶつけ、右肩をぶつけ、道路にとぱされた私はブレーキが間に合わなければ車に轢かれるんだな、と妙に冷静だった。周りの声があれこれ聞こえる。手の指、足の指、全部動く。目は見える、音も聞こえる。しかし、頭をぶつけたから、ここは大人しくしているしかない。動かずに救急車が車で道路で雨に打たれていた。

 人間、こういう時はアドレナリンが過剰にでるんだろう。救急で運ばれたのに自宅に帰ろうとして、同行者に全力で止められた。はねられた瞬間を見ていた人間からすれば生きているのが不思議だという。意識はしっかりしているので、やや迷惑そうな病院サイドであったが、入院。しかし、入院は正解だった。少し時間が経つと、身体中がメリメリと音を立てた。頭が痛い。いきなりむくむくとタンコブが出た。痛い。痛い。痛い。

 翌日、日曜日。当番にあたっていた整形外科のドクターに、「骨 折れてますよ」と腰椎の圧迫骨折をみつけられる。年齢的にギリギリ、折れた瞬間から骨は固まろうとするからしばらくコルセットつけて安静に。その夏は風と共に去りぬ状態で過ごした。動かずに寝たまま、座ったままの時間が多いと信じられないほど筋肉が落ちる。2ヶ月後、コルセットを外した。声は出なくなる。腹式呼吸が下手になるのだ。トイレに行っても腹筋がないから、自分の上半身を支えるのに頼りない。少しの重さでも持てない。周りに人がいるのが怖い。風が吹いても痛い。見た目はなんともないのだから、普通に歩いているとギリギリを通り抜けていく自転車や悪気はなくてもぶつかってくるスーパーのカートなどの恐怖に耐え、慣れるしかない。売り場で走り回る子供が憎たらしかった。

 ある日、雨の夜遠くから救急車の音が聞こえた。途端に記憶が遡った。頭の中がぐるぐるする。衝撃があり、ぶつかった感覚、道路、雨、救急車内の会話をすべて思い返し、「あー 私は今 生きている」と心が落ち着くまで小一時間。これがこの後数年間続いた。雨の夜の救急車の音が怖くなった。世の中には、どれほどの人が後遺症に悩んでいるのだろう。このほんの些細な、微妙な感覚の違いだけで、ここまで長きに渡って不調になるとは。自らの経験から、若く元気そうな少年少女たちも耐えられない苦痛を抱えていることもあると想像するようになった。

 いまだに、気圧の変化が嫌いだ。嫌いだというより、ついていけない。いつか時が解決してくれるのだろうか。

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