派閥化

コミュニティと派閥化

これを最近肌で感じている。

箕輪編集室にいるのでそれが前提だけれど

そこのものであるということとそうでないもの

OBOG的なやめていった方々も含めたものと。

だ。


今日書くのは誰かを責める物ではないしそれがいけないという意味ではない。

そうなるものだと踏まえたうえでどうすべきだろうかというお話し。


最近大規模の集団の中で起こる派閥化細分化に関しすごくもどかしく感じている。



しかしそれh主題で会っていい場合とよくない場合があると思うのだ。


その線引きは明確じゃないと思う。


でもそこに何かしらのものがあってマイナスに働いてからでは遅いと思う。


理由あって生成されるものはそこに意味があるからいいと思うのだけれど、何かで集まりコミュニティの名前を冠において何かをするならそのコミュニティの人間は全員受け入れるべきだと思うしそうでないなら使わない表に出さないなどの配慮が必要になると思うのだ。

どうだろうか。


いい人だから、仲がいいからと

そこの人らも参加できる機会が
参加できない機会を大きく超えたとき母体であるコミュニティの価値はどうなるのだろうか。


有名人だったり圧倒的な方ならいいがその人が何をなしたかなんて知らない新規メンバーの目にはどう映るだろうか。


考える。


どうすればいいように映るのだろう。


ルールを持っていくのか雰囲気をしっかり出すのか毎回説明するのかアーカイブしていってあぁこの人はこんなことをした人なのかとわかる状態を作るのか。



そして、やっぱり派閥ができやすい場所があるなと感じる。


ツイッターだ。


あのツールは今まったくもってアルゴリズムが優秀じゃない。


仲良し生成ツールなのだ。


その辺の事あした3人で話そう。


これもまtあ備忘録

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