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記録としての写真

先日祖父、じーさんが亡くなった。
葬儀も滞りなく終わり、ひとまず49日までの道のりを頑張ってもらえれば。そんな気持ちです。
そこで今日は、じーさんの身辺整理で出てきた写真について書いていこうと思います。

僕自身日頃からあんまり人を撮るのは楽しくないなぁなんて思っていたのですが。
じーさんのことを知りたいと思った時見たのは写真でした。
ちなみにこんな感じ

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海外飛び回ってたのなんか知らなかったし
なんならサクラダファミリアちっちゃくね?って感じだし
腕は太いし
かっこいいし
もうね。
死ぬ前に自慢してこいや←
そりゃ病院ですれ違う人に
グッドイブニングなんて言いながら敬礼するファンキーさに納得いくわ笑
そんな風に思いながら眺めていました。
ティッシュを1箱じゃなく5箱ごと売る発想を出したのは祖父らしい。らしいだけどそんな商才も凄かったらしいじーさん。

聞いていると年齢行った人には逗子のお祈りさんといえば伝わるくらい有名な一族だし
個人宅単位でお祭りが行われるくらいの有名な家だったらしい。
確かに裏の家の祭壇マジででかいしその部屋12畳以上あって明らかに異質な部屋で当時の商売繁盛をという時には最強だったらしい。
それに不思議なのがじーさんちのすぐ裏にも朱の鳥居があってお稲荷さんあるしじーさんちの庭にもおいなりさんと立派な鳥居がある。
普通の家は庭にあんな鳥居ないと思う。
そしてなかなかに荒れた学生生活だったらしいし、もう何も知らなかったな。。。。

けどこれ写真なかったらそれすらわからなかったな

途中からそんな気持ちになりました。

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これは僕と姉と両親と
カメラを持っているのでなんだか好きな写真。

こんな風にアートじゃなく記録としての写真の魅力に気付かされました。
思えば飲み会中とかに楽しい記憶の記録として写真撮るのも好きだな。なんて思いもあって、SNSじゃなくてプリントしておいて何年後何十年後に見て楽しむ写真、飾らない写真だけど飾りたくなる写真。そんなのもいいなぁ。

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それとフィルムで撮られた写真のなんといいことか。
24枚撮りのフィルムを数本持って旅に出る。
多分お互いに理解してるその貴重さに自然と笑顔になるのもあるし、加工前提の今にはない
写りの悪さゆえの写りの良さもあって
すごくいいなぁと。
アナログという壁がデジタルの彩美を超える。
なんでだろうか。もっと言語化していくべきことな気がする。

記録より記憶だけど記憶を呼び起こすのはいつだって記録

ほんとに写真を残す
撮るだけじゃなく残しておく所まで、そんな価値を改めて感じました。
分厚い重いアルバムに
貼り付けメモを残しながら。
そんな風に残していける、人になりたいなぁ。

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最後に全盛期の僕を笑

では!

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