オキーフのポートレイトについて
誕生日プレゼントにAlfred Stieglitzの写真集『Georgia O'Keeffe: A Portrait』を贈ってもらった。とてもとても嬉しい。
じっくり鑑賞していた。
その中から、お気に入りのtop5を考える。
top5はすべて等しくお気に入りの写真だ。
縦横の比率は、写真にとって重要だ。
作家は構図を意識して制作しているからだ。
試しに90度横に回転させてみればわかる。まったく違う印象を抱くはずだ。
違う作品になったのだからあたりまえだ。
この写真の縦横比を調べた。約2:1である。
そんなことよりもおっぱいだ。おっぱいがある。
…私はおっぱいにほっぺたを乗せている。
やわらかくて、あたたかい。乳首を舌で撫でて、そして吸ってみる。
谷間に鼻をうずめてみる。やわらかくてあたたかい。深呼吸をする。
…ひと通り妄想を終えた後でようやく下の影が陰毛だということに気がつく。
濃い人だ。美しい人の濃い陰毛。これほど興奮させるギャップがあるだろうか?
と、妄想が加速して帰ってこれなくなる恐れのある写真だ。
写真をきっかけに違う世界へと飛んでいけるグレイトな写真だ。
だが、こんなことを書いていると天国のオキーフさんに怒られそうだ。
ごめんなさい。
ずーっと見ていると鼻血が…ではなく、乳首と乳輪が背景へと消えていき、
写真は抽象化され線になっていく。
Wの文字だ。あるいはYの文字が二つ。
Wをなぞればおっぱいが現れ、Yをなぞれば陰毛に達する。
あなたはどちらをなぞるだろう。私はWの後にYだ。
この写真は性癖のリトマス試験紙なのかもしれない。
いや、性癖と言うと鑑賞者をジェンダーの枠に押し込めている。
ではいったいなんだ?性癖じゃなければなんだ?嗜好か?わからない。
スティーグリッツさんは何を意図していたのだろう?
私は私以外の人の考えを直接に知りようがないから、
知らないものにつけられる言葉はない。
こんなことを書いていると今度はスティーグリッツさんにも怒られそうだ。
でも私はこの写真に素直に向き合っている。だから素直に書いている。
素直になること、私がありのままでいることを、偉大なアーティストである二人は許してくれるだろうと信じたい。
でもやっぱりごめんなさい。
この写真集の序文はオキーフさんが書いている。
英語だ。
私は英語がスラスラ読めない。
だからまだオキーフさんが何を語っているのか知らない。
序文を読み終えれば、作品の意図がわかるかもしれない。
楽しみだ。
つづく