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言葉の処方箋~力を貰える名言~(※効果には個人差があります)第1回

(明石家さんま プロフィール|吉本興業株式会社 (yoshimoto.co.jp)より引用)

「俺は、絶対落ち込まないのよ。落ち込む人っていうのは、自分のこと過大評価しすぎやねん。過大評価しているから、うまくいかなくて落ち込むのよ。人間なんて、今日できたこと、やったことがすべてやねん

ー明石家 さんま 氏

できるわけがないッ!

例えばあなたが陸上部で、ウサイン・ボルト氏と100m走で勝負できる、あるいはアマチュア将棋が趣味で、藤井聡太氏と対局できる機会があったとします。

その時(やるからには一生懸命やるとしても)ほぼ負けは確定してるわけですから、勝てるかどうかを心配したり、ボロ負けしたからって、すごく落ち込んだりはしないと思うんですよ。

(自分が日本代表のアスリートだったり、負けたら死ぬとかなら話は別ですけど)

くじや福引で残念賞を引かされた時、「やっぱりな」って納得感はあっても、

「ぬわぁんでワシは特等が引けないんじゃああああああああああ!!!!!」

って嘆いてる人とかいないように(めっちゃ嘆いてる人を見たらご一報を!)、結果が見えていることに対して、多くの人は一喜一憂しないんです。

ところがやることは同じでも、対戦相手が陸上部の同期やアマチュア将棋のライバルだったら、勝てば嬉しいとか、負けたら悔しいとか、思うところが色々あるじゃないですか。

それは「勝てるかもしれないし、負けるかもしれない」という、両方の未来を想定しているからで、言い換えれば、

『物事が上手くいかなくて落ち込んでる人』は、

『上手くいく可能性があると期待してた人』でもあるわけです。


できるわけがないッ!

ここまではよくある話・・・ていうかこれ以降も別に目新しい話ではないだろ、というツッコミがあることは重々承知なんですが!

えー、冒頭に紹介した言葉って、

『サッカーの試合で得点を決める』とか、『テストや入試で満点を取る』とか、

『誰もが知る大手企業に就職する』とか、『美男美女とお付き合いする』とか、

『Mー1グランプリで絶賛される』とか、『ゴールデン番組に出演する』とか、

総じて、

そら毎回上手くいくとは限らんだろ」って場面で思うようにいかず、変に落ち込んでいる人に対して使われるイメージがあるかもしれません。

ですが実は、

『朝決まった時間に起きる』とか、『ご飯を自分で作る』とか、

『親しくない人に挨拶する』とか、『無駄遣いをしない』とか、

『自分の過失を認めて謝る』とか、『行動前に相談する』とか、

これくらい誰でもできると自分でも思っている」のに、
そんなことも出来ない自分に失望して落ち込む」ような人にも、

当てはまるというかしっくりくる言葉だと思うんです。
(筆者も未だに他人に上手く挨拶出来ないので、心の中でよく唱えてます)


できるわけがないッ!

例えばポケモンやドラクエみたいなゲームだと、レベルが低いとやれることが少ないですよね?

通常のプレイスタイルであれば、ストーリーやエリアごとに適正レベルがあり、伝説ポケモンを実際に捕まえたり、伝説の武器を手に入れたりするのは、ゲーム後半であることがほとんどです。

だから、レベルが低い前半はレベルを上げるための手段が常に用意され、レベルと一緒にステータスが上がることでゲームプレイの幅が広がっていきます。

ゲーム後半まで楽しく進められるよう、製作者の手によって、様々な仕掛けが施されているわけです。

しかし、ゲームと異なり私達は自分のレベルやステータスを確認できませんし、着実にレベルアップできるよう、誰かが仕掛けを施してくれているとも限りません。

腕力としての「ちから」や脚力としての「すばやさ」くらいなら数値で表せますし、「かしこさ」をIQやEQという表現に置き換え、可視化できなくはありません。

ですが、試験や面接といった限られた時間で結果を出さなければいけない場面や、ヘトヘトに疲れている時でも頭や体を動かす習慣を身に付ける時に必要なのは何か。

それは「判断力」とか「行動力」のような数値化しにくい能力であって、そういう能力は年齢を重ねたからといって、必ずしも身に付くものではありません。

大抵のことができるようなレベル100の人なんて滅多にいないんです。

できるわけが……

ほとんどの人が思春期を過ぎたあたりで「自分がレベル100じゃない」と気付き、成人するころには「自分はせいぜいレベル20くらいだ」と見積もることでしょう。

実際レベル20じゃなくても、レベル18とか15くらいの人なら、適正レベル20の「社会」ってエリアにいきなり放り込まれても、本人の頑張り次第で何とかなるかもしれません。

が、中には上手く成長出来ず「レベル2」で止まっているような人もいます。

そういう人からすれば、社会に出るっていわゆる「負けイベント」も同然で、事あるごとに「できるわけがないッ!」ことを要求されてしまうんですよね。

ゲームであれば、負けても話が進んだり、勝てる手段が用意されてる場合もあります。

現実でも、負けたら命まで取られるなんて心配はほとんどないですが、レベル差が何倍もある相手に囲まれて、自分の中で黒星ばかりが増えていく。

そんな状況が続いたらやる気なんて起こるわけがないんです。
(運や偶然、周囲の助力次第で状況がひっくり返る可能性はありますけど)

だからこそ「今日できたこと、やったことがすべて」なんです。

フツーに考えたら、ついこの間レベル1の赤ん坊を卒業して、
飯食って風呂入って寝るくらいは自分で出来るようになった『レベル2』の人間に出来ることなんてたかが知れてるじゃないですか。

レベル20以上の他人なら当たり前にできるようなことでも、レベル2の自分がやったら上手くいかなくて当然。

レベル2止まりの自分に思う所があったとしても、レベル2なんだから仕方がない。

レベル3になるために必要なことをひとつひとつやっていこう。

そんな前向きな絶望と後ろ向きの勇気を感じさせる名言でした。

処方箋、お出ししておきます。