カール・ヨハン街の夕べ
ノルウェーといえばエドヴァルド・ムンク。フィヨルド観光の入口でもあるベルゲンの街を訪れた際、ムンクの作品が所蔵されているKODE美術館を訪れた。
エドヴァルド・ムンクは幼い頃に母と姉を立て続けに亡くし、妹が精神の病に倒れた経験から、常に死の不安を意識して育ったと言われている。最も有名な作品の1つである「叫び」は、自分が叫んでいるのではなく、「自然を貫く果てしない叫び」に耳を塞いでいるのだという。人間の不安が極限に達した一瞬を描いたものと言われている。
「友人ふたりと道を歩いていた。日が沈んだ。空がにわかに血の色に染まる――そして悲しみの息吹を感じた。僕は立ち止まった。塀にもたれた。なにをするのも億劫。フィヨルドの上にかかる雲から血が滴る。友人は歩き続けたが、僕は胸の傷口が開いたまま、震えながら立ち尽くした。凄まじく大きな叫び声が大地を貫くのを聴いた」
ムンクはゴッホと同じように、パリに移り住み、絵を学んだ。この当時、画家にとってパリは憧れの場であったのだろう。しかしながら、突然、訃報が舞い込む。父が亡くなったのだ。ムンクはその直後、パリ郊外のサン=クルーに移り、そこで手帳に以下の走り書きを残しており、後世では「サン=クルー宣言」と呼ばれている。
もうこれからは、室内画や、本を読んでいる人物、また編み物をしている女などを描いてはならない。息づき、感じ、苦しみ、愛する、生き生きとした人間を描くのだ。
KODE美術館には150以上のムンクの作品が展示されている。どの絵を見ても、「不安」「絶望」といった負のエネルギーが押し寄せてくるのだが、厳しい現実を直視し、自分の内面と向き合うことの大切さを感じられる。とりわけ、自分の目を引いた作品が「カール・ヨハン街の夕べ」である。
オスロの目抜き通りであるカール・ヨハン街を描いた作品は幾つか存在しており、この「カール・ヨハン街の夕べ」は、ムンクの絵の最大の特徴とも言える不安感や恐怖が前面に表れた作品と言われている。人々のどの顔にも表情がなく、みな同じようなものに見える。群像とは反対の方向に歩いてゆく孤独な男の後姿は、ムンク自身の自画像だと言われている。相次ぐ身近な人に死に直面した厳しい現実に向きあう自分と、それに全く無関心な大衆とが夕暮れの街に描かれている。この絵からは、ムンクの孤独、また大衆に対する嫌悪が感じられた。
自分が苦しい場面に直面したときに、心の良薬となるのは、その辛い現実とかけ離れた美しい絵か、あるいは、近い境遇を表現した重苦しい絵か。ムンクの絵がこれだけ多くの人を魅了するのは、その境遇に共感が得られ、絵を見た人に慰めや救いを与えてくれる面があるように自分は感じている。
ベルゲンの街
KODE美術館のあるベルゲンの街は、オスロと異なり小さな街であるが、非常に美しい街であった。13世紀にハンザ同盟貿易で栄え、ドイツ商人によって建てられた木造倉庫群・ブリッゲンは世界遺産に登録されている。街並みはとても美しく、「アナと雪の女王」の舞台アランデール王国のモデルにもなっている。ぜひとも再訪したい街である。