「表現の自由」について語りたくなったときのための覚え書き
概略 この文章は、ツイッターのいわゆる「表現の自由」をめぐる論争の助けになるために書かれています。同じような話題を何度も繰り返しているようで不毛だからです。不毛さの理由を私は2つ考えています。1つは「公共」という言葉です。もうひとつは「性的」という言葉です。これらの言葉を使わずに表現の妥当性を考えるために表現について3つの観点を用意します。それぞれ「誰が」「誰に」「何のために」です。これらの視点で考えることで曖昧さの少ない議論ができると考えます。以下はそれぞれについての解説