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4回目の春がきた

寝ていたら、包丁のトントンいう音が聞こえてきたので、私はてっきり母が朝ごはんを作っているのだと思った。


うわーばりお腹空いたわと、食べるモチベで目をあけたら、トントン言ってたのは夜から降り出した雨がうちの屋根を叩いている音で、数年前私は実家から出て行ったからここに母はいないんだった。


あらまぁ〜!

仕方ない。
人の料理する音で起きれるのはしあわせなことだが、自分で好きなものが作れるのもしあわせだよねと寝起きの自分を説得する。

散らかった部屋をつっきって、散らかった廊下を歩き、散らかったキッチンに行く。
余っている野菜と肉を適当に炒め、最近はケチャップ味が私の中でブームなので、ケチャップとマギーブイオンとオイスターソースを目分量で入れて味を付け、もう何回作ったかもわからない、名もなき肉野菜炒めの完成とした。ついでに冷凍してあるご飯もチンする。

散らかった部屋で食べる適当メシは自由の味ふんだんで、普通に美味しい。イケる。フォークで食べるが私的にミソだ。それだけでなんか豪華に感じるから。

フォークでブスブス野菜を突き刺しながら、私って「唯さん」って呼ばれるのだいぶ板についてきたよなぁと考える。
「唯さん」と初めて呼ばれた時はそりゃむず痒かった。私は有象無象たちから唯ちゃんと呼ばれて生きてきたから。高山さんはあっても、唯さんだけはまじでなかったな。
歳上を見る目で私を呼ぶその声たちが、あまりにもナチュラルで、迷いがなく、
私はすでにそれなりに大人でおばさんで、そっか、私ってあなたたちにとっては唯さんだよなそうだよなと妙に納得できた。

最近読んでいた本の中で、また娘と母が衝突する姿を見て心底安心した。
古今東西の娘と母がまったく噛み合わないのが、私の古傷を癒す。
私がかつてこんな複雑でサイアクで絶望的で、でもこんなにも切実なことってないと思いこんでいた関係が、ごくごくありふれた、どこの家庭でも大なり小なり起こっている出来事だということに励まされる。
起こったことも傷の形も変わんないのに、味付けが変わっただけで全部違って思える。
味付けだけは時間と共に変えられる。
だから歳を取るのは最高なことだと思う。


 ホルモンバランスが崩れると、父が私の夢に出てきて私を殺しにくる。
例え夢であっても心をえぐられるダメージは大きいようで目を覚ましても私はわんわん泣く。寝ぼけた頭でこの件何歳までやらなあかんのやと思う。

父が怒り出すとだいたい母もセットで登場する。
母は、あの頃から父の怒りを必死に止めようとしてきた。
その姿はまるでめちゃめちゃ鳴くチワワのようだった。
あーあー、そんなに鳴くから、もっとお父さんは怒る。

全身を使って、身体が浮いちゃうくらい鳴いたって、意味ないのに。あほなん? 言葉ってなんの意味もないのに。
激昂しているお父さんの言ってることなんかずっとめちゃくちゃで、誰が聞いても論理は破綻しているけど。それって関係ないの。
父は力があって大きいから、父を「怒らせた」という理由だけでいとも簡単に私たちは踏み潰される。力の強いものが勝つ。言葉なんて意味ありませんからね。私をぐちゃぐちゃにすることなど大の大人は赤子の手をひねるくらい簡単なことだ。

父とチワワの命懸けの茶番は幼い私から言葉との信頼関係までも奪い去った。

取り返したけど。エッセーとか書いちゃうくらいまで取り戻したけど。めちゃくちゃ時間と労力がかかった。


あの頃から会ってないので、いつだって父は50代のハツラツとしたあの頃のままだ。
なんで父だけ年取らへんねん。ヨボヨボになってくれてたら蹂躙なんてされないのに。

人の夢にまでご足労大変でしょう。もうけっこうですよ。私ちゃんと覚えてますから。日頃思い出しませんけど、それはさすがにもういいと思ってるからで、忘れたわけじゃないのよ。
あの頃のお父さんの痛みや悲しみも、お母さんのつらさや切羽詰まった感じも、今となってはわかる。しょうがないと思ってる。
あなたたちがくれなかったものは社会で拾えたし、あなたたちが奪ったものは世界が渡してくれたから、だから、もういいよ。ガチで。
許す許さないのステージはもう私の発想にはないのよ。
もう大丈夫ってことだよ。

私は唯さんになっても中身唯ちゃんのままだ。
相対的に年上になっただけで人は大人になりませぬ。
まー、一歩一歩だね。山登る時みたいに。

現場もついに四年目になる。
今年は何ができるようになって、何ができていないと気付けるだろう。
楽しみだ。





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高山唯
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