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甲子園に帰った日

兵庫県西宮市にある甲子園とは、私の故郷である。

私は17年間、甲子園に住んでいた(大学時代に甲子園出身というと、え、住んでたの? どういうこと? と変な顔をされて、よくよく聞いたら球場の中に住んでいたと思われたことがあった。その子にとって「甲子園」は「ディズニーランド」と同じ扱いだったのだ)。

甲子園を思い出そうとすると、嫌いだったの一言に尽きる。
それは場所が悪いんじゃなくて、私が悪かった。
どこを舞台にしても、私が「高山唯」である限り、生まれ育った場所を嫌いになれる自信が私にはある。

ティーンエイジャーの私は、わたしの生に根拠を与えた一組の男女、がっちゃがちゃの両親のおかげで、ぐっちゃぐちゃのメンタルで生きていたのでとにかくいつもひどく疲れていて、常に死にたかった。

旧友は梅田まで来てもらって会えるし、実家もないので、甲子園に用はない。
私の父親が今でも甲子園に住んでいるはずだが、父親にはもっと用がない。





しかし、甲子園には梨恵ちゃんがいる。
梨恵ちゃんは亡くなった人なので動けない。だから私が行かないと会えないわけだ。

関係性でいえば、梨恵ちゃんはモモという私の友だちの母親で、私の母のママ友でもあった。

でも私にとっては梨恵ちゃんは「梨恵ちゃん」だった。
モモのお母さん、でもモモママでもなく、私は梨恵ちゃんを梨恵ちゃんと呼んでいた。
なんなら「ねぇ、ゆいも梨恵ちゃんって読んでいい?」と聞いたときのことも今でも覚えている。梨恵ちゃんはいつものように車を運転していて、後部座席に私とモモと梨恵ちゃんの飼い犬のゴールデンレトリバーのココナちゃんが座っていて、私は身を乗り出して尋ねた。
梨恵ちゃんは笑いながら「えーいいよー」と言ってくれた。

梨恵ちゃんは、優しかった。

うちの父は鬱で引きこもりだったのでどこにも連れて行ってくれなかったが、
梨恵ちゃんは大きな車を持っていて、どこへ行く時もうちのマンションまで迎えに来てくれた。ユニバ、ディズニーランド、動物園、水族館、プール、アイススケートリンク、ちゃお(小学館発行の月刊の漫画雑誌。男の子でいうところのジャンプ的な)のサマーフェスティバル……
私が死にたかったあの時に死ななかったのは、梨恵ちゃんのおかげだと思うことがある。
物理的に梨恵ちゃんは私を連れ出して、束の間現実から逃してくれた。

私は人生の各モーメントで全部つまずいていたが、梨恵ちゃんは「ええやん」と言って笑って見守ってくれた。
梨恵ちゃんが死んでからも、変わらず私はつまずき続けた。

梨恵ちゃんが亡くなったときは信じられなくて涙も出なかった。
梨恵ちゃんは太ったり痩せたり、心の具合が良くなったり悪くなったりしていたが、運動神経が良くて、背が高くて、目が大きくて、美人で、よく動いてよく笑う人だった。

モモが泣いているのを見ても、私はやっぱり現実味がなく、ぼんやりしていた。


梨恵ちゃんが亡くなってから、進学と共に甲子園を離れて、そうして一度も帰らなかった。

さすがにもうそろ梨恵ちゃんに会いに行こうと考えたのは、
シンプルにモモと再会したからっていうのもあるけど、やっぱり梨恵ちゃんへの感謝を忘れてはならないという私にだって僅かに残る義理人情の気持ちが作用したというところが大きい。

久々に降り立った甲子園の駅は変わりすぎてて、もう何も懐かしいところがなかった。
泣きながら飛び乗ってたあの電車も、死にたいと思いながらかじったあのたい焼きのお店も、どうやったら死ねるかなとか思いながら歩いたあの道も、てか周りの人が死んでくれないかなとか思いながらみたあの空も、なんか全部なくなってて、全部違って見えた。

まー私も大人になったかんね。
今の私はスマホと財布があれば、どこへだって行けるもん。車だって持ってるし。
子ども時代も高校時代も大学時代も、「今がいちばん楽しいよ」とか言われてきた私だが、どう考えても、大人の方が楽しいだろうがよ!!! ナメんな!!!


久々に会った梨恵ちゃんはあの頃のままだった。
あの頃の笑顔とあの頃の記憶と、大人のままずっと大人の梨恵ちゃん。

梨恵ちゃんは甲子園から出れないね、と心の中で思って、いや、梨恵ちゃんの方が誰よりも自由かもと思い直す。きっと肉体がなくなったら空とか飛べるんでしょ? 車に乗る必要すらないもんね。
梨恵ちゃんにとって私がどんな子どもに見えてたか聞いてみたい。そしたら、きっと私の知らないすてきな答えが返ってきて、そういう一面もあったのかぁって自分の子ども時代をちょっとゆるすことができる、と思うのは都合が良すぎるだろうか。

梨恵ちゃんのお参りをした帰り道、遠回りしてかつての通学路として歩いていた駅までの道で私は思った。

街並みなんてそもそも見てなかったんだ。
だって、いつも下を向いて歩いていたから。汚いスニーカーとメダカの子どものお腹みたいにパンパンに膨れた自分のふくらはぎ。
泣きそうになったら空をみた。

そら何もかも懐かしくないわ、甲子園。
そら嫌いっていっても街の話じゃなくて、つらかった過去の話しかでてこんわけだ。
しかもどこ歩いても「死にたい」しか思ってなかったわけだから、移動しても移動してもあの頃の呪詛だらけ。うん、やっぱどこが舞台でも変わらなかっただろうな。

でも、甲子園には梨恵ちゃんがいてくれた。
梨恵ちゃんが迎えに来てくれた、マンションの向かいのあの通り道。一緒にいった回転寿司。銭湯。当たり付きの自動販売機。

なんとか思い出すことのできる楽しい記憶にまつわる場所たち。

嫌いな街で、好きな場所をくれてありがとう。
ちゃんと何が嫌だったか分別のつく大人にしてくれてありがとう。

梨恵ちゃんとしゃべれば、あの時のこともあの時のことだってネタにして、きっと笑える。




かの日に傍らにいてくれた、好きな人を思いながら、田辺に帰る。
私のことを思ってくれる人を、私が好きな人を、思いながら家に帰る。

私も、梨恵ちゃんみたいな大人になりたいよ。

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高山唯
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