エッセイストになりたかった
いつからか、言葉を世界と合わすようになった。
頭の中の言葉と、口から出す言葉が明らかにギクシャクし始めて、そしたらある日文章が書けなくなった。
脳内を整理する自分の言語は、他人には使っちゃだめ。
大学の時に授業のプレゼンで前に出て喋ってて、ふつうに自分言語で話していると周りの人たちの思考と空気中でスパークルしてるのがみえて私は青ざめた。
空気が冷えて、温度が変わって、変えたのは紛れもなく私で、みんなは大してこっちをみてなくて、でも絶対なにかがおかしくて、怖かった。
人類学者の先生だけが、その時の発表と私の言葉をひどく褒めた。
私はスパークルに気付いたのが自分の気のせいなんかじゃないことを確信して、使ってる言葉と頭の中身が人とちがうことを初めて知った。
私が世界に受け入れられる方法は、スパークルをぶっちぎってエッセイストになることしかないと思われた。
他人に使うのは怖いから、文字にした。スマホを叩くだけなら私は自分と他人はちがうという事故を目撃しなくて済む。
どうせちがうなら、認められたい、頷いてほしい、わかるって人がいないとは思えない、声が届かなくても文字ならどこへだっていけるはず。
そしたら、なれんかった、エッセイスト。
努力が足りなかったのか、足りなかったのは才能か、いや自惚れが余剰だったのかも。
そしたら言葉が余った。
口に出さなかった言葉たち。空気に触れられない私言語。
言葉がいちばん得意なはずやった。あんなに褒められたん、人生で言葉しかなかった。
でも世界にいらんかったんや。ほんなら、こんなんめっちゃ邪魔や。口にしたら変わってるって言われる。変わってるって言われるんは、いやや。こわい。喋った瞬間自分がウォーリーやってすぐバレるクソゲー。いやや。
だから、他の人を真似するようになった。使う言葉も単語も、全部コピペ。つまらんけど唯にだってできる。楽勝。
そしたら、文章が書けなくなった。私は一文も書かなかった。
ほんなら、世界って醜い。
私に味付けされんくなった世界が、めちゃくちゃ汚い。処理しきれん。息苦しい。
くれてきた言葉がどんどん私の中で溜まっていく。頭の中で名前を付けてと押し合いへし合いでギューギューになる。
あーそうか。
誰かのためなんかじゃなかったんや。
自己顕示欲なんかでもなんでもなかった。
ただ私は世界を勝手に解釈するのが好きやっただけや。
そうじゃないと、楽しく生きるなんてとてもむりやった。人とちがう頭で、自分の言葉以外の借りもんで生きるなんて、とてもむりやった。
私って、自分言語が好きなんやな。
だってこの世でこんなにぴったりくるものって、存在せんと思う。変って言われるけど、ううん、これはこれでぴったりなんやでって思った。
久々に書いたら、楽しかった。また巡り合ったなって思った。自分の頭って、悪くないやんって思った。
何回も思いたい。
ただいま、