敬虔なる彼氏スキスキ崇める教信者の惚気のような散文
実は一ヶ月か二ヶ月ほど前から、彼の好きなところだとか想いの丈だとか、(要するに惚気ですね)をどこかに記事として出したいな〜と企んでおりまして。
副業Webライターをはじめて早くも半年が経ちましたが、ライター用名義でノロケ100%で行くのはなんだか違うよなぁってことで、何処でソレをやるか悩んでいたのです。
結局、やるとしたらnoteであろう、仕事とは完全に分けて趣味の文章として、自由気ままに投稿するのが最適であろうの結論に至ったわけですが。
なんというか、思っていたのと全然違う形になってしまいましたが、想いが溢れて止めどないので、もう見切り発車で始動します。
ちなみに不定期連載です。
(ここまで、前置き。長っ!)
※ 以下の文章は、11月22日深夜にメモ帳アプリに走り書きしたものを一部編集したものです。
いくら顔が良くても、ヒモとか性格すごい悪いとか、暴力振るうような人だとか、の類では自分が幸せになれないので、これまでずっと中身重視で恋愛相手を選んできたし、(願望こそなかったが)結婚を考えるにも中身の方が大切だと昔から考えてきた。その考えを疑ってみたことは1度もなかった。
「イケメンなんて年取ればただのハゲじゃん」が高校の時から口癖だった。
顔がいい人なんて観賞用で十分だ、と本気で思って生きてきた。
でも、
「毎日起き抜けから寝る瞬間まで、何十年も会い、生活や食事を共にし、顔を合わせ続ける相手なのだから、外見良いに越したことはないよな」
って気づいてからは、顔で選んだって別にいいんじゃない?と思えるようになった。
私の中で、心のブロックがひとつ外れた。
【コイツを彼氏候補に入れてやってもいいかな】と思った決め手が「外見の良さ」だった今の彼とは、今日で付き合って4ヶ月になる。
外見が良すぎる故に色々と不安は常にあるけれど、それでも、愛されているなと自覚が持てるし、みっともない姿を晒してもすべて大きな愛のもとに許される感覚が常にある。
それに何より、この人に出会えたおかげで考えるようになったこと、変えよう変わろうと思えたこと、自由に息できるようになったこと、山ほどある。
たった4ヶ月で、あらゆる領域・あらゆる事柄で、不可能が可能に変わる体験をした。
もうこの人なしでは生きていけない、絶対に。
今、わたしはとても幸せだ。
今回のお写真:2019年11月撮影。Canon Autoboy-A(フィルムコンパクト)使用。神田で正社員限定の1日研修に参加した帰り、鎌倉橋→大手町フィナンシャルシティ→オオテモリと1人歩みを進めた。これはオオテモリ地下のイルミネーションな白い木を撮影したもの(今年もバージョン違いで白い木はあるよ)。イルミや夜景はデジタルの方が綺麗、というかiPhoneの方が向いてる印象ある。
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