横浜大洋ホエールズ十勝ワインナイター
私の生まれは北海道十勝池田町である。
父は、ワイン町長と呼ばれた故丸谷金保元町長の子分的存在の1人だった。
私は物心がついた頃から、父に、けいきが生まれた年に十勝ワインが生まれたんだ。
けいきも小さくてもがんばりなさい。
と、四重言われていたのをよく覚えている。
十勝ワインは当時の池田町の風物詩が、コクワと山葡萄で山ブドウで広い町中を覆い尽くすくらいの規模にしたいとワイン町長が言い出したのが始まりだったと聴いた。
ポートランド、巨峰、デラウェア、キャンベルスアーリ、ゴールデンマスカット、アゼンスなど確か約40品種、5千本から始まりやがて120品種を超えるようになったという。
昭和38年の春、地下室から処女作が生まれてその年は町がワインブーム一色になったと聴いていた。
私の自分の成長とともに、父が広報室長や企画室長として営業をかけ、田舎町からの営業をかけた。
父や関係者のみなさまが、様々な方々からの支援を受けたのを聴かせてもらえた。
私にとっても忘れられない、、、
横浜大洋ホエールズの
"十勝ワインナイター"
が実現した日に私まで嬉しく感動したことを昨日のことのように思い出している。
挑戦こそが未来をつくる。
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