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選択と犠牲
誰も傷つけない選択はないし
でも自分が犠牲になればいいってことでもない
ただこの選択をしたことに後悔はない
お疲れ様です。
日曜日です。
重い言葉から失礼しました。
いま見ているドラマの中でのセリフ。
これもまた心に刺さりまして共有させてください。
人生は選択の連続だなんて昔の人の言葉もあったと思います。
小さいことで言えば、目の前におにぎりとサンドウィッチがあってどちらかを選ぶ。
毎食のタイミングでも人は選択をしています。
もちろんそれが目の前で調理してくれたひとがいて、こっちにしてください。だなんて貴族のような生活をしている人は少ないかと思いますが。
朝起きてまず顔を洗おうとかトイレに立とうとか、ルーティン化している生活も選択が選択を重ねた結果であると考えます。
この選択という行動が、対人になった場合、毎度緊張をするように癖付けた時期がありました。
ただこれは結果から言いますと失敗に終わりました。
理由は心が持たないから。
会話の中で何か投げられた時、こう言おうか、それともあー言おうか。
無論、当時は文頭に書いたことなんて気にもかけていなかったですが、言ったあとに後悔に近いことを心に受けたことがあるから。
なんであのように答えてしまったのか。
それは友達との何気ない会話の中でも値します。
意外と澄ました感じですね、とかクールですね?
とか言われるんですけど、家に帰って目を瞑ると意外とその日を振り返ってそんな反省?後悔?をしたりしております。
この時間は面白くないです。
反省をするということはそのような自覚があるということ、心の中にそんな考えを持つ自己があるからということ。
いつか糧になるときあるんでしょうが、いまはなるべくその時間を作りたくないです。
自分が犠牲になることはない、もちろん誰かを犠牲にもしたくない。
その選択に後悔がなければ良い。
文頭に戻りました。
そう考えるとそこまで重くもない言葉かもしれません。