優しい夏の風景へ
最近は22時ごろには就寝し、翌朝5時30分ごろに起きる生活に切り替えた。長い梅雨がようやく明けたら、打って変わって猛暑が続く毎日。朝のフレッシュな時間で作業を進めるのも良いもんだということで完全に朝型人間になったのだ。
朝の日課はベランダに出て深呼吸をするのだが、猛暑の日々ではあるものの、この時間帯はまだ気温もそこまで高くなくて近くの森から爽やかな緑の空気が流れてくる。
お盆のこの時期ということも相まって、そんな空気を感じていると、優しい夏の風景へと誘われる。
幼少期の頃、毎年母の実家の長野県の上田市で、1ヶ月ぐらい限定で親戚たちと暮らしをしていた。
自分が一番最初に記憶している瞬間もそんな祖父母の家にタクシーが到着し、祖母が出迎えにタクシーに歩いて近づいてくるのを、なんだかぼんやりと眺めていたところから、自分を自覚し、なぜ今自分がここに居てどういった気持ちなのかということが分かった瞬間でもあった。
縦に長い長野県の東信エリアという場所に位置する上田市は、県内でも湿度が低く夏の時期は特に陽射しが強い。本当に肌を焼くかの如く照りつけてくる。あまりにも陽射しが強いので小さい頃はお昼から15時ごろまでは外遊びは禁止されていたほどだ。だから日中帯の記憶よりも、実は夜や朝の時間の方が鮮明に覚えている。というのも、夕方から夜にかけては気温が日中より下がり、夜も蒸し暑い都内で過ごす夏と比べると格段に過ごしやすくなる。夜は特に何か羽織る上着がないと風邪を引いてしまうくらいだった。
そこでは、千曲川の打ち上げ花火をみんなで眺めたり、手持ち花火を家族たちとやったりした。花火の焦げ臭い匂い、その後の風呂。風呂上りの居間でくつろいでいると流れてくる町内の有線放送。近くの小学生の作文などが音読されていたりして、自分と同い年くらいの子の文章が読まれた時には、網戸から流れてくる涼しい風と鈴虫の声に気を取られながら、よく耳を澄ましていたものだ。
朝の時間も夜に引けを取らずとても快適な時間だった。
小さい頃からお昼寝というものがどうしても苦手だったのに、外遊び禁止の時間に無理やりお昼寝をさせられるものだから、夜の眠りが浅く、朝は兄弟や従姉妹たちよりも早起きだった。朝早く起きると庭で祖父が干瓢を作るために夕顔を薄く剥き干している横を大きな声で「おじいちゃん、おはよう!」と挨拶をして、祖母が運転する軽トラに乗って畑に行った。前日にみんなで食べたスイカや野菜の残りを穴に仕込んでおくと、翌日そこにはカブトムシやクワガタが群がっているので、それらを採るためだった。たくさん採れる時とそうじゃない時もあり、自分で“仕掛け”の工夫などをしたりもした。
お盆の時期になるとそんな風景をいつも思い出す。
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