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スロウな生き方

世界的なパンデミックの影響で、色々な物事や場面で今までのやり方が通用しなくなってきている。
自粛期間で自宅から仕事をしていたにも関わらず、自粛期間が終わった途端に、暗黙のルールがごとく、会社に出社しなくてはいけなくなりモヤモヤしている人もいるそうだ。こういったことは、知ってしまったり、気づいてしまったら、その前に戻ることは出来ないのではないだろう。
自分の経験から語ると会社員から個人事業主になって仕事をしていると、もう二度と会社員は出来ないだろうなと感じることととても似ている。
 
一度踏み出したらもう前に進むしかない。
そこで問題になってくるのが、これからどのように進んでいくかということ。
今、今秋に創刊を予定しているマガジンa quiet dayの編集作業真っ只中なのだが、話を聞いているみんな口を揃えて、世の中がゆっくりとしたペースになることを望んでいる。
これは、今編集している号に限らず、マガジンを創刊した2015年当初からそんな流れがゆっくりと進んでいたが、ここ数年で一気に加速度的にその歩みを進めた感が強い。
 




 
ここでいう「スロウ」は何も緩いことや怠惰なことを言っているのではない。
もう少し物事を熟考し、その考えられたプロセスの中で本来持っている、モノであれば品質、コトであれば本質によって、ゆっくりと消費されていることと言い換えることが出来るかもしれない。
 
昨今のクラフトが注目を浴びている訳もそういった考え方がベースになり、それが象徴的なシンボルとしてブームとなったのかもしれない。クラフトは、完成品を作るプロセスの中で、それをより良く生み出すための仕組みや道具なども自ら開発していく。そのプロセスには、必ず個人の意識や視点が反映されて、そのストーリーを聞くと、益々モノにも愛着が湧いてきて、さらには時空を超えて受け継がれていく。
 
ビジネス上のマーケティングなどで生み出されたプロダクトとクラフトの違いの多くは、この部分にあるのではないだろうか。
考え抜かれたデザイン性、丈夫で耐久性のある素材、優れた思想を持ったクラフトマンのキャラクター性。
この3つのバランスが整った時に良いモノが生まれ、自らが受け取るよりも世界に多くのものを与えてくれるのだろう。
 




 
今、これからの生き方を変化させるのであれば「スロウな生き方」をしてみたいと思う。
物事の品位・品質を見聞きし、生活に反映させていく。そういった生き方への一番の近道が0から1を生み出すクラフトマンやクリエイターたちの近くで色々と議論を交わしてみることが良いのだろう。
普通の人は何気なく通り過ぎてしまう「考え」→「型」のプロセスを日々静かにスロウに反映しているからだ。そう考えてみると、5年間続けてクリエイターやクラフトマンたちにフォーカスを当て続け、まとめていたマガジンa quiet dayというメディアは、どこかの誰かの役には立てそうな気がする。少なくとも自分にはその制作プロセスを含めて最高の人生の教科書になっている。


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