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a quiet dayのマガジンではゼロから何かを生み出しているクリエイターたちにインタビューをしています。 そこに編集、収録されている声は、その方々自身から発せられた心のこもった真実の言葉であり、それが手仕事でなくとも手触り感のある確かなものなのです。 モノに目を向けてみると、手作りのモノとそうではないモノの違いは、そこに「心」があるのかどうかなのでしょう。使い手を想像し創造していく過程では、そういったものがなければ成立しません。 手作りのモノであれば、その場所の自然
古語を調べてみると面白いことが分かることがある。今回のコラムのタイトルに用いた「にほひ」という言葉もその一つだ。現代で使われている匂いの原型にあたる言葉なのだが、改めて意味を古語辞典で調べてみると、まず始めに出てくる意味は、「色合い」や「色つや」のこととされており、続いて「美しさ」、そして「魅力」や「気品」へと続く。そうしてようやく使い慣れた「匂い」の意味が出てくる。最後には「余情」という抽象度の高い感覚的な意味も出てくるほどで、どうやらかつて「にほひ」という言葉は、何か対
フィンランドの首都ヘルシンキにLokal Helsinkiというフィンランドのクラフト・デザイン・アートをキュレーションしているショップがある。フォトグラファーやキュレーターとして活躍しているKatja Hagelstamが、2012年にヘルシンキがWorld capital of designの首都になったのに合わせてローカルのクラフトマンやアーティストにフォーカスを当てた「20+12」という本を作ったことがきっかけで、このLokal Helsinkiが生まれた。 マ
1970年にみずず書房より出版されたエドワード・ホール著「かくれた次元」を再読している。正確には一度も完読しきれていないので、復読?(こんな言葉はきっとない)と言った方が正しいのかもしれない。この本では通常であれば、当たり前のこととして認識されてしまっている知覚や感覚について学術的に論じられている。今まで復読するのは一度や二度のことではない。決して難しすぎて何も頭に入ってこないという訳ではなく、いつも読み進めては、別のところに興味が湧いてしまい、その都度、脱線の繰り返しにな
最新号のマガジンa quiet dayのローンチ、そしてクライアントの展示会のディレクションやカタログの制作などが重なり、リモートワークが中心とはいえ、ここ数ヶ月はとても慌ただしい生活を送っていた。Macのスクリーンと睨めっこをしている時間が長くなればなるほど、手応えのない虚しさを感じてしまうのは、デジタル時代の中での新たな課題のような気がする。 こういった状況の中、シェア出来る畑を借りて野菜を作ったり、料理に精を出す人もいるようだ。こういったことは、デジタルの空虚感に対し
装丁やデザインを生業としつつ小説家・エッセイストとしても活躍されている吉田篤弘さん。普段から読書はする方なのだけれど、タイトルや内容を読まずに著者の名前だけで欠かさず書籍を購入して読んでいるのは、氏の作品だけのような気がする。 いつも予約注文をしていて正確な到着日を把握していないがため、何の予兆もなく自宅のポストに届くのだけれど、そんな感じも不意をつかれたプレゼントが贈られてくるようで、書籍が届くだけでなんだか日常のエッセンスとなっている。そんな新刊「ぐっどいゔにんぐ」が昨
成田空港を午前11時頃に離陸すると、同日の現地時間の午後4時頃にデンマークのコペンハーゲン空港に到着する。10時間から11時間ほどの飛行機の旅となるのだけれど、いつも機内ではあまり寝られずに見たかった映画や本を読みながら時間を過ごす。到着の午後4時頃と言えば夏時間であれば日本時間の夜の11時、冬時間であれば翌日の0時になることもあり、空港のゲートを抜けてバゲージクレームで荷物を待っている頃には、襲いかかる睡魔との戦いが待っているのだ。 長距離便は特に大型のスーツケースはなかな
朝の4時30分。 10月の末にもなってくると、まだ外は暗闇の中。フェアの設営のために早朝に家を出て目的地までの移動の道中は、日中には人で溢れている道もまだこの時間だと人気もほとんど無く、一人で歩いていると、この地球上に自分一人取り残されてしまった世界に迷い込んだかのように思う。 * 同じような感覚は旅の中でよく感じる。特にデンマークのボーンホルム島に滞在する時などはそうだ。人間よりも動物や野鳥の方が多いのでは?と勘違いするほどの場所なのだけれど、時差ぼけで朝早く起きてしま
今週の前半で長野県の松本市と諏訪市に旅をしてきました。 東京から3時間ほど離れた場所なのですが、日本アルプスに囲まれた土地に足を踏み入れると何気ない空気の美味しさや光の差す角度などが異なっていてとても新鮮です。 昨年鎌倉のあるお寺を散歩している時に、そこで働く庭師の方が「例えば人生がお鍋に入ったお湯だとしたら、日々の生活を営んでいるとどうしても吹きこぼれそうになる場面もあると。たまには、お鍋の蓋を外してガス抜き(湯気抜き?)をする必要があって、日常から少し離れて見ることが大事