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小さい頃から絵を描くのにとても抵抗があった。描き始めてしまえば自分で言うのもなんだけど、最終的には何となく様になる感じではあったものの、描き始めの何もない白紙の画用紙を眺めていると、完成までの程遠い道のりを想像したり、自分の不用意な一手によって美しい無垢の白地を汚してしまっては、という思いから、パレットで色を作っては試し紙に色を塗って、ああでもない、こうでもないと色作りのせいにして一向に進めることができなかった。 中学生の頃、美術か何かの授業の冬休みの宿題で「富士山」の絵を
ここ数日、昔一緒に働いていた方やかつての仲間が連絡をくれたり、道すがら交差点で文字通り交差する瞬間に「あっ!久しぶり!」なんていう再会があった。こういうことは時々起こる。数年前にはノルウェーのヴェルゲンというヨーロッパでも一、二を争う降雨日数(雨が激しく降るというよりは、シトシト霧雨が降る感じだ)を誇る街で立ち上げたNorwegian Rainのファウンダー兼デザイナーT -MICHAELと、西新宿の駅で新宿方面の電車に乗り込んだ時にバッタリと会ったりと、出会う人との物理的距
世界的なパンデミックの影響で、色々な物事や場面で今までのやり方が通用しなくなってきている。 自粛期間で自宅から仕事をしていたにも関わらず、自粛期間が終わった途端に、暗黙のルールがごとく、会社に出社しなくてはいけなくなりモヤモヤしている人もいるそうだ。こういったことは、知ってしまったり、気づいてしまったら、その前に戻ることは出来ないのではないだろう。 自分の経験から語ると会社員から個人事業主になって仕事をしていると、もう二度と会社員は出来ないだろうなと感じることととても似ている
言葉にはそれを使うシチュエーションと紐づいた言葉がある。面影という言葉もその類の一つだ。 実家に帰って思い出のアルバムをめくりながら、数十年ぶりに友人と再会したタイミングなどに、今と見比べながら「面影がありますね。」といった感じにだ。 字面を見ても面白い。「面」という字と「影」という字が組み合わされて表と裏のような、相反するけれどお互いが影響し合う関係性を感じ取ることができる。 「面」はストレートに「おもて」つまり顔を意味し、一方、「影」は本来「何かに光が当たり、遮られる部
いくつかの前のコラムで真実はどこにあるのかといった内容について書いたが、真実なのかはさておき、確かな「熱量」の源泉は人の中にあるのだろう。先日雑誌の「BRUTUS」の初代編集長・石川次郎さんをゲストに迎えたトークイベントを拝聴した。今年で創刊40周年を迎える「BRUTUS」を立ち上げた頃の話やその前段で携わっていた「POPEYE」の海外取材の話は圧巻だった。 その当時の1970年代から80年代は、もちろんインターネットやSNSなどはなく、海外取材の前に決まっていたことは
最近は夢をよく見ている気がする。 梅雨特有のムシムシした感じや季節の変わり目で体が変化しているからなのだろうか、明け方になると急に目が覚めてしまい、まだ起きるには早いと目を瞑るのだけれど、うつらうつらするだけで深い眠りにはつけない。そんな時に夢をよく見る。 高校時代に戻りサッカーボールを追いかけていたかと思えば、会社員時代の営業先に向かっている電車の車窓から流れる街並みを目で追っていたりしている夢だ。よく夢は現実世界の出来事を整理していると言われるけれど、過去にタイムスリッ