身近な街を非日常へと彩る「街歩き」の魅力
25歳を過ぎたころから、街歩きが好きになった。
……いや、正確には前から好きだったような気もするけれど。
自分なりに考えてみると、しばらく旅行をしていないことが、最近の「街歩きが楽しい!」に拍車をかけているんじゃないと思う。これまでは旅先の街を歩くことで満たされていた欲求が、旅に出ないことで積もり積もっている現状。
それを解消するために、日常的に散歩するようになったんじゃないかしら。
遠出できないことによる代替手段──と書くとちょっとアレだけど、でもまあ、あながち間違っているわけでもないんじゃないかなーと。目的なく街々を歩きまわることで得られる、ちょっとした非日常感。それは別に、旅に出なくても得られるものだから。
──そう、身近な街にだって、「非日常」は転がっているのです。
普段は通らない脇道に入ってみるとか、いつもは通り過ぎる神社に立ち寄ってみるとか、これまで入ったことがなかった喫茶店に、勇気を出して飛びこんでみるとか。歩く道を1本変えるだけでも、そこには意外と知らない景色が広がっているもの。
そもそも日常生活で「歩く」ときって、目的地に向かうために「移動」する場合が大多数だと思う。で、目的ありきの移動ゆえに、多くの人は最短距離で歩こうとするんじゃないかしら。Googleマップか何かを使って。
でも、「最短距離を歩く」というのも、実は数ある「選択肢」のひとつに過ぎないんですよね。
日々を忙しく過ごしていると忘れがちだけど、Googleマップが教えてくれる経路だけが正解とは限らない。それは「最短で行ける最適解」であっても、「絶対的な正解」ではないのです。
だからこそ、そこで別の「選択」をするだけで、よく知る街は途端に「非日常」へと変貌する。
地図アプリの表示に抗い、えいやと曲がった道でおしゃれなお店を見つけたり、ふらっと滑りこんだ脇道で、木に向かって爪研ぎの真っ最中の猫と出会ったり。そこにあるのは、知っているけれど、知らない風景。
もちろん、毎日のように同じ街を歩きまわっていれば、いつかはすべての道を網羅してしまうことでしょう。しかし、それでもなお、寸分違わず「まったく同じ道」というものは、ひとつとしてない。だって、街には時間が流れているのだから。
歩く時間が変われば、風景が変わる。
夕日に照らされた道に寂しさを感じたり。
縄張りを巡回中の猫と出会ったり。
歩く季節が変われば、風景が変わる。
開花の春、新緑の夏、紅葉の秋──といった自然。
そして、道行く人の表情も。
歩きつづけていれば、風景が変わる。
朽ちていく社があれば、新規開店するお店もある。
時間の経過が、街を変えていく。
そんな変化を知ることができるから、同じ街を歩きつづけるのも楽しい。
ただただぼーっと歩いてもいいし、カメラ片手に写真を撮りながらでもいいし、ラジオを聞きながらでもいい。いつでもどこでも、誰でも無料で始められる趣味として、街歩きは最高だと思うのです。
でも、こうして見ると、「日常」こそが最大の「非日常」と言えるのかも。
そんなことを改めて思いつつ、今日も今日とて、ふらり街へと歩き出すのでした。