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『大震災とチベットの焼身自殺』

2012/02/23 

本日はロサール、チベット暦の新年だ。だが、難民を初めとする多くのチベット人たちは素直に正月を祝う気持ちには到底なれないだろう。なぜなら、現在チベットでは、これまでには無かった「悲劇」が次々と繰り返されているからだ。
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昨週、中華人民共和国副主席、習近平が訪米。次期国家主席の就任が確実視される習氏をオバマ政府は異例の持てなしで歓迎した。テレビ局各社は連日これを大きく報じていた。オーバル・オフィス(大統領執務室)でのオバマ大統領と習氏とのやりとり、歓迎レセプションでのバイデン副大統領による中国の人権状況への憂慮とそれに対して習氏が反論する映像などが繰り返し流され、「両大国の腹の探り合い」「牽制し合う大国」等の特派員レポートが添えられた。又、「両国の関係は結婚と同じ。爆発する前に正直に言いたいことを相手に伝え、ガス抜きをしているのだ」とのアメリカ人の専門家に拠る分析も紹介されていた。

しかし、近年の両国関係を精査してみれば、それが両国のいつもの政治パフォーマンスに過ぎないことは容易に分かるだろう。米政府には、中国の人権状況(特にチベット)に懸念を示すことで、他国や国内外の人権団体等からの「米政府は人権問題を蔑ろにしている」との批判をかわそうとする隠れた意図がある。アメリカの狡猾なダブルスタンダード政策はつとに良く知られ、これまでに中東の国々・民族を初め多くがその犠牲になっている。チベット人も過去に煮え湯を飲まされた。50年代の中国によるチベット侵略後、チベット人の有志がゲリラとなって中国軍と戦っていた。ソ連や中国等の共産主義勢力の台頭を恐れていた米国は、CIAを通じてチベット人ゲリラに武器を供給していた。しかし、ニクソン政権の親中政策への変更により、支援は突然打ち切られ、国の解放を信じていたゲリラの多くは非業の最後を遂げることになる。その後も、ブッシュ政権が自らの対イラク政策等での失態を覆い隠す為にダライ・ラマに勲章を与えて巧みに利用する等、チベットは翻弄され続けている。

中国政府の人権に関する答弁も実に巧妙だ。「人権問題は内政問題。多様な民族を有する中国の事情は複雑だ。その改善に我々は最善を尽くしている。」と同じフレーズを毎回繰り返すことで、記者からの質問を巧みにかわしていく。結果、毎度同じ答えしか引き出すことが出来ない記者たちからは、諦めと共に、いつしか厳しく追及する質問さえも出なくなる。そして、中国当局のメッセージはそのまま、当局の意図のままに世界に発信されることになるのだ。その裏では、両大国は自らの利害関係(即ち、ビジネス・経済)の下に親密な関係をがっちりと深めて行く。結局、人権問題などは政治パフォーマンスの道具に過ぎない。
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さて、今回のマスコミの画一的な報道の影で、社会の木鐸たる使命を有するジャーナリズムが絶対に伝えねばならないチベットの現状は無視される。それが、前述した「悲劇」だ。2011年の3月より、「東日本大震災」と時を同じくして、チベット民族居住地域各地で、中国政府の圧政、チベットの解放を訴えるチベット人民衆の焼身による抗議が相次いでいる。昨週も未だ19歳の尼僧、テンジン・チョドロンさんが焼身自殺した。BBCに拠れば、昨年から今までに、分かっているだけで、焼身者の数は20人を越えている。その多くが死亡。私は以前制作したチベット難民のドキュメンタリー(『チベット難民-世代を超えた闘い』)の中で、インドで焼身自殺をした元僧侶の難民の男性を取り上げた。彼は濃いオレンジ色の炎に全身を包まれながらも、走りながら、合わせた両手を虚空に突き上げながら訴えていた・・・抗議の手段として、焼身ほど凄まじいものは他に無いだろう。火傷により皮膚と呼吸器は焼けただれ激痛と呼吸困難の中殆どの者が死んでいく・・・想像しただけでも、全身が引きつり心底恐ろしくなる。それを、チベットでは、この1年というごく短い間に20人以上が決行している。この事実だけでも、彼ら、彼女らの追いつめられた心境が分かるはずだ。こんな異常事態は、近年、世界の如何なる場所でも起こっていない。これから、来月10日の「チベット民衆蜂起記念日」にかけて、チベット人達の抗議は激化していくだろう。それに伴い、焼身自殺の数も増えていく・・・
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チベット人の切なる思いは、今に始まったことではない。世代を超えて、もう50年以上も続いているのだ。この辺りの事情(「チベット問題」)ついては、先のドキュメンタリー作品、このブログ内の他の拙記事、チベット専門小冊子への拙寄稿文、他の方々のページ、関連書籍等を参照されたし。マスコミ、特に日本のテレビは「チベット問題」を無視し続けてきた。中国との、或いは中国市場でのビジネスを展開する数々の企業からのスポンサー収入に支えられ、日中友好協会など中国系の団体と密接な関係のある日本のテレビ局は、中国との関係に深刻な亀裂を生じかねない「チベット問題」を取り上げることに全く消極的だ。正直、報道したくないのだ。「2008年」は全くの例外。チベットでの暴動が世界的な関心事となってしまったため、マスコミは止むなくそれを取り上げた。その証左に、その後もチベットの状況は悪化の一途をたどっているが、あの当時のチベットを巡る“報道喧噪”が幻だったかの如く、その後、各局共に何ら詳細な報道は無い。今回の「焼身自殺」事件が報道されないのは、至極当然なのだ。そのくせ、直接の利害関係の無い「アラブの春」や北朝鮮関連の報道は積極的で、「市民の命が蔑ろにされている!」等とレポータ-が叫んでいるのだから、開いた口が塞がらない。整合性の無さ、モラルの欠如、ここに極まれり。真のジャーナリズムなどここには無い。
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本年は日中国交正常化40周年。人気アイドルグループAKB48が親善大使に就任する等、記念事業も目白押しだそうだ。近隣の国同士が親交を深め、より良く理解しようとすることに何ら異論はない。私にも中国人の良き友人達がいるし、学生時代の中国一人旅では素晴らしい体験をさせて頂いた。感謝の念に堪えない。両国の友好関係の推進を心より願っている。しかし、だからと言って、中国の未だに自国民を強大な武力により弾圧し死に追いやるといった“暴力独裁国家”としての側面を看過していいことにはならない。日本は“友人”国家として、そのことも公できちんと指摘し批判するべきだ。それが真の友人たる姿勢だし、本気で信頼し合える関係を築こうとするならば避けては通れない。正に、「良薬は口に苦し」。

しかしながら、中国との関係を基本的にビジネスパートナーとしてしか考えていない、考えられない政府、経団連、大企業からはその様な姿勢は全く見られない。情けない限りだが、これがこの国の実情なのだ。そこには、昨年の震災後より巷で盛んに叫ばれる様になった「生命の尊さ」や「絆」の意味を深く考え大切にする真剣さは微塵も感じられない。1000年に一度とも言われる母なる地球からの凄まじい“揺さぶり”を受けても、チェルノブイリに次ぐ原発大事故を引き起こしても、結局、この国の政治家、企業幹部を初めとする大多数は、社会、仕事、人生に対する新たな価値観に目覚めることは無いようだ。若者も同様。社会の根本改革を多少のリスクを負っても今こそ率先して担うべき若者達の人気就職先のトップは、「堅実で安定していて一生食いっぱぐれない」を主たる理由に2011年度(2012年新卒)も「公務員」・・・「長いものには巻かれろ」「寄らば大樹の蔭」など、組織や団体の利潤の為ならば(例え自らの良心に反しても)他の生命を蔑ろにし、他との絆を分断し対立する事態を招きかねない以前同様の「社会通念」の中へと明らかに多くが舞い戻っている。震災直後に老若男女問わずあちこちから湧き上がった「日本社会は根本から変わる必要がある!」の威勢の良い掛け声は一体何だったのか?
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瀬戸内寂聴さんの被災地慰問を追ったNHKのドキュメンタリー番組を先日見た。その中で、彼女が被災された方々に釈尊の「犀の角のようにただ独り歩め」の言葉を贈っていたのには驚いた。なぜなら、この教えほど現在の日本社会にとって必要なものは無いと震災前から考えていたからだ。この教えは、我々に常識や価値観の転換を厳しく迫り、生きる真の意味を問い質す。政治・経済大国となった中国の人権を無視した政策に対して、リスクを負ってまで正面から「NO!」を突きつける”非常識”な国、組織、個人は殆ど見当たらない。だからこそ、敢然と自らの身体に火をつけ公然とその政府を批判するチベット人達に、私は「犀の角のようにただ独り歩め」の一つの体現を、痛ましく悲しくもあるが、確かに見るのだ。以前の記事にも書いたが、「チベット問題」とは、各々一人一人の人間としての意志や本質が試される問題だ。この問題を通じて、その者たちの真の人間性が明らかとなる。

間もなく、あの大震災から1年。宿縁なのか、「チベット民衆蜂起記念日」の翌日だ。再び思う。何故、我々は1000年に一度という大震災を経験したのか? 何の為に多くの人達は犠牲になったのか? 原発事故は一体何のための教訓なのだろうか? 焼身自殺を遂げたチベット人達に思いを馳せながら、再度、考えてみても時間の無駄にはならないだろう。いや、それこそが、亡くなった方々への本当の意味での供養となる。

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