見出し画像

エネルギーチェスト! 「脱炭素化」は4+2の和で囲め こんにちはブリットさん トヨタ会館探訪編

写真は「空気感 (Spoiler)」
☆2022-2023年 TOYOTA GR YARIS Rally 1 Hybrid バンパーを撮影

 私が子供の頃愛読していた学年別学習雑誌には「枯渇する油田」という特集がまま組まれた。将来のエネルギーを憂ぐもので、その記事と対になるように日本菓子の一つ「瓦焼き」に似た、反った平板上に太陽光パネルをぎっしり敷き詰めた車が掲載された。サーキットを走るカーの車体にはカロッツェリア、プロの藤子絵デザインが奢られ、「電動=SF=ドラえもん」という図式の車両だった。しかし、それらは実験やSFの領域に留まり、内燃機関からの代替化は遅々として進まなかった。
☆藤子絵の車体ですが、静香ちゃんは描かれてなかったため痛車ではないと判断します。

 時代は2010年。「脱炭素」は急速に現実化を帯びた。街中で電動自動車を見かけることは珍しくなく、その筆頭格はテスラ自動車であるが、私は電動自動車に未だ慣れないことがある。自動車の口に当たる「フロントグリル」を欠く姿はマスクを着用したような表情に見え、違和感を覚えるが、これも次第に見慣れていくのだろう。因みにテスラ社の代表イーロン・リーヴ・マスクとマスクを当てたという意図はなく、単に偶然です。
☆衛星用具及び覆面のマスクの綴りは"MASK" イーロン・マスクの綴りは"MUSK" 麝香を意味する。よってイーロン・ムスクが正しい発音。

 トヨタのプリウスが世に現れた際、米国のセレブリティーや環境意識の高い層。また最先端品を好む層に刺さったように電動自動車は人気を博した。合理化を推し進めたテスラ社は汎用バッテリーを搭載し、開発に掛かる時間と資金を抑え、製品のロールアウト速度を早めた戦略は、後発メーカーであると同時に電動自動車として先発メーカーである両軸から鑑み、至極真っ当なもの。
 その後が問題なのだ。というのも、部品点数を簡素化出来る電動自動車の開発敷居は内燃機関に比べ下がる。参入障壁が低くなるということはレッドオーシャン化に至る。競合他社となれば底コストの宿痾に呑まれるものだ。
 激安販売競争。乱舞するメーカー。趨勢の鎬。中国という巨大な青磁の甕の中、電動自動車に関わる会社の数は1000を超えたそうだ。市場競争による淘汰と統廃合が繰り広げられ、その上で生き残る企業というのは相当なものになるであろう。
 中国電動自動車のバケモノ的進化と、激安販売価格競争に米欧は関税を課しこれを牽制。日本メーカーは匙を投げざるおえず、ブルーオーシャンは既に真っ赤に染まった後。
 諸君思い起こして欲しい。ファミコンが世に現れ、辛いゲームバランスと子供騙しのクソゲー。ITブーム以降、雨後の筍のように現れては消えていったタップするだけのクソゲーの数々は、プラットフォームがスマートフォンだったことは何かの皮肉だろうか。新たに物を造るという行為の大部分は失敗であり、成功と不可分の関係である。圧倒的多数の駄作の上に良作は出来上がるのだ。そうした中に誕生した名作は世界に届いた。

「脱炭素」に向け、中国の電動化は圧倒的であるが、活路は未だあると私は捉えている。何故ならば目的は「脱炭素」。その手段の一つが「電動」なのだ。 故にアプローチは幾つもある。また、電動自動車の抱える問題を鑑みると介入余地は有しているのではないか。

 ではここから電動自動車について私見を著述。
 油田を掘り当てるのが石油であれば、石を摂るのが電動化である。電動自動車のモーター作成に必要な希少金属鉱山。バッテリー原材料の塩湖が謂わば油田に該当し、今後希少金属からバッテリー原材料採掘地の共同体が作られ、OPECのように共同体を表す言葉が生まれるのだろう。
 次に電動自動車のエネルギー源の「発電」について。
 猫も杓子もIT機器を手にし、そこにAIが参画。同時代に電動自動車が参入していくことを想うと、電力消費量は増えることはあれど減ることの見込みはない。ではその電力はどう造られるのか?
 電動自動車を取り巻く上流環境。ここが整っていなければ、足を引っ張りかねない。現在のエネルギーインフラを見てみると「電気」「ガス」「石油」 選択肢は様々にある。これを電気に一本化するというのは一見合理的であるが、転じて環境変化、特に人的要因の状況変化に脆弱化するであろう。手段が目的と化したことで問題の皺寄せが様々な場面に現れる筈だ。エコだった電動自動車はエコノミーとエコロジー共に問われることになる。

 次に電動自動車という乗り物の特性に視座を置く。
 排気ガスを放出しないことが大きなメリットであることは言わずもがな。地球と生物全般に厳し目な黒煙というのはビジュアル的な力を持つ。悪い方向でだが。
 いいこと尽くめであって欲しいが、電動自動車は重いのだ。複雑な内燃機関から脱したモーターであるが、取って代わって燃料タンクがデカくなったような特性を抱える。高出力や航続距離を得るためにはどうしてもバッテリーを多く積む必要が生じる。液体燃料の場合は消費する毎に車重は軽くなるが、バッテリーは減ったところで重量は然程変わりはせず、死亡重量デットウェイトとして残石するのだ。
 重量増は路面攻撃性はいうに及ばず、タイヤ摩耗率を高め微細なタイヤ粉塵の問題も含み、脱炭素と重量をトレードしたものが電動自動車と私は見ている。
 充電に伴う時間についても大きなボトルネックに。高出力と航続距離を得るために積んだバッテリーは、その分充電時間も掛かる。電気のドカ食いは差し詰め角力か。
 電力消費電力増と、充電スタンドで過ごす時間をどう使うかに社会設計は新たなテーゼを孕み、「只今充電中」と、牧歌的になればせめてもの慰めであるが、きっとそれはない。急速充電は求められ安定したスターダムを歩むのだろうが、どっこいバッテリーへの攻撃性を持ち、バッテリーが結局大人気になるのではないか。
 モーターも。であるが、電動自動車とはバッテリー開発が主題のようだ。
 テスラ社の本質はソフトウェアーカンパニーであり、エネルギーの出力と自立型制御が根塊の商いであろう。汎用性バッテリーを搭載し、開発と生産コストを抑えた電動自動車のように、系列会社であるスペースXは既存のロケットエンジンを複数束髪そくはつし、制御する処に、彼の会社本質が見える。
 自動車のOSと自動運転のAI開発に力点を置き、これらは宇宙開発だろうが自動車開発だろうが横展開可能かと推察する。バッテリーもロケットエンジンも新たに開発するには膨大なノウハウと、時間を要し、それであれば既存の物を使い既成事実化デファクトスタンダート、プラットフォーム化を目指す。そのために早さを求めたのであれば納得の方法である。
 より良いバッテリーが世の中に誕生すればそれを使うだろうし、別のエネルギー源がベターであればそれを搭載し、それらを制御する形で参画していくことを想像している。

 意識の高い層と、先端品を好む層は電動自動車を既に購入した。
 では、そうではない人々が何故買うのか? そこには広告がある。経済要因の広告だけで鑑みると、多数マスに訴求力を持つものとはそれまでと比べ劇的な性能向上であろう。10%や20%の向上で購入意欲は動くだろうか?
 例えば燃費10km/lの自動車が、買い換えると20km/lに変わるのは大きな効果だ。では30km/lが35km/lだった場合は?
 私は性能向上50%付近に経済エコノミー効果を見出すと想像する。ハイブリットが普及し、燃費向上後の世界。それでも何故人は電動自動車を買うのか?
 中国では競合他社間で価格競争により顧客への訴求を展開しているようだが、その体力ははいつまで持つか。エコノミーとして突出した広告で、一巡した市場を動かすのには限界を想う。
 では、人がそれまでの延長線上とは違う物を何故求めるのか?
 私は昨今の退っ引きならない災害激甚化だと捉えている。台風は年々巨大化。夏は激烈に茹だる暑さ。日本は高温多湿であるが、乾いた地域では大規模な山火事。同時期に別では一年の降雨量を数日で落とす世界と至ったのだ。
 それまでの常識が通用しなくなった環境に「これはちょっと不味いんじゃないか」と、環境変化に対し適応しつつあるため「脱炭素」を求めるのであろう。生物の進化とは環境適応を意味する。適応出来ない種は淘汰されていった。
 蛇蝎され始まった化石燃料でるが、私はこれが突然世界から消えるとは思っていない。肥料から医療まで広域に関わる石油精製品を鑑みると、原油採掘と次のエネルギーが完全に交換するとは思えない。化石燃料から排出される炭素を相殺出来る方法も、選択肢に保持しておいた方が様々な面からも良いだろう。
 併せてこれは難民対策にも繋がる。海抜が上昇し、住む場所を奪われた人々が座して波の飲まれるということはないだろう。ささやかな漁業を営む炭素排出量僅かな国が、別国が排出する地球ふかふかガス要因で海の底に沈む。戦争を介さずボートピープルを作り出すことは、スマートフォンで画面をタップするクソゲーよりクソゲーである。
 右から左にエネルギーが交換することがエネルギーシフトではない。360度ぐるりと複数の選択肢を持つことがエネルギーシフトなのだ。
 そう「脱炭素」である。手段が目的化しつつある中、複数の選択肢があることを提唱してきたトヨタに私は取材に向かった。

 自動車を絵画に例えるなばらセダンは象徴主義サンボリスムであろう。メーカーの品格をオーセンティックな車体に投影する。
 スポーツカーはロマン主義。快適さと経済性を運動性能に寄り切る。
 SUVは印象主義だ。4x4に都市的感覚を取り入れ、これまでとは異なる表現は古典を避ける世代に刺さった。
 道なき道を求める求道の4x4 直喩において野獣派フォービスムだ。獣道を求めるマゾどもは悪路が好き。アースカラーであろうが野獣派である。
多視点とはマルチパスウェイ、謂わば立体派キュビスム」  そんなことを考えていると……直ぐだった。

・トヨタ会館 現着

「モリゾウ居ねえかな。モリゾウ」と、入館すると「モリゾウは居ねえけど車はあるから見てけ」と、受付が強要するので渋々従おう。
 入り口を潜ると、ロビーに新型クラウンが三台鎮座まします。私は新しいクラウンが好きだ。それまでの威圧系から脱し、凝り固まった中で変えるのは容易ではなかった筈だ。最初にクラウンクロスオーバーを発表した意図とは「これまでと違う」ことを具現化した2トーンの攻めの姿勢に好感を持つ。新しさと品が香る造形も素敵だぜ。
 次にクラウンスポーツ。俺はボンネット上に手を翳した。
「こいつじゃない」というのも道中のこと。我がニャンスタ丸の真後ろに赤いクラウンスポーツが暫くの間張り付きm俺は「追われている」という設定の下、アグレッシブな空想ドッグファイトを繰り広げ経て、ここに生き立っているのだ。それと同じモデルがここにあるとなれば、そこに繋ぎたくなるのが人の心というもの。
 ネオジオン軍系統の4つ目の赤はMSN-04サザビーの新型という感がし、連邦のモビルワーカー(軽トラック)がこれに追われるプレッシャーとはどういうものか、貴様らに判るものか。
 スポーツと空想をクロスオーバーさせる間に新型クラウンセダンが構える。映画の影響を受けた私は20代に入るなりセダン愛好家に傾倒した。しかし、財政事情から手の届く範囲の車両はまず中古車であり、概ね高年式である。走行距離には無論年記が入り、複数人のオーナーを迎えたそれは途中ヤンキーの方が居たんじゃないかな。運動性能とは別で威圧系を高めた結果とても下品に至り、予算的にはOKだがビジュアル的に酷くNGだというものばかりだ。
 持論であるが、セダンとビッグスクーターはメーカー以上の品格を備えたカスタムは不可能である。ということでまだ手を入れられていない新型クラウンに試乗だ。運転席に着座。
「へー。いっぱいあるね」スイッチや、両開きのセンターコンソールを開いては閉じ。閉じては開き堪能後、サルーンとなれば後部座席だ。席替えを行い後部座席から「運転手君、やってくれたまえ」と、目には見えないエアー杖で前方をずしっとやる。こうしたことはディーラーでは気が引けても、ここなら気兼ねなく可能だ。気が済むまで社長業を済ました俺は気付きを得る。
「何しに来たんだっけ? あ、やべえ。エネルギーシフトの取材だ」 車バカ一台を拐かす戴に別れを告げ、探究を再開すると……。

「こ……これは!」

ここから先は

3,103字

¥ 390

期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

バイクを買うぞ!