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通称、臀部は桜の木の下 「話はそれからだ…」と中年男は言った シーズン4 その14

「やっぱりそうだ。西野くんと堀込くんだね」

 西松と堀込は狐につままれた様な表情を浮かべた。

「私だよ」

 ギターを弾いていた男は波打つ髪をかき上げ、自己陶酔している風に髪を揺らしてみせる。
 その時、ギター男の顔がはっきり見えた。

『尻ぃぃっ!』

 西松と堀込は同時に素っ頓狂な声を上げる。
 その髪型でわからなかったのだが、西松と堀込の言う通り、尻であった。

 通称“尻”、名前は尻毛太朗だったと思う。入間川高校の時の国語教師であり、西松と堀込のクラスの担任であった男だ。
 尻の背後に悠然と立つ黒薔薇婦人にサンデーサンで射殺され、復活後はそのサンデーサンで黒薔薇婦人を待ち続けていた男だ。


「お前らごときが先生をケツ扱いするのか!」

 尻毛を尻呼ばわりしたことからか、周りのパンタロン集団から怒号が上がる。

「いいんだよ。彼らは私の教え子なんだ」

 尻毛はいきり立つパンタロン集団をなだめるのだが、中には納得がいかない様子の者もいて俺たちへの怒号が飛んでくる。

「彼らは私が高校教師だった頃の教え子で、謂わば私たちと同志だ」

 パンタロン集団はこの同志という言葉に反応し、怒号が嘘のように静まり返った。
 同志ねぇ…、その響きに鬱々たる気分になる。
 それはいいとして、尻の後にいる黒薔薇婦人だ。
 その長身のモデルのような体型と、美貌は間違いなく黒薔薇婦人なのだが雰囲気が変わっている。
 服装と髪型が違うのだが、それ以上に何かが違う。
 俺の知る黒薔薇婦人と言えば、眉毛下で一直線に切り揃えられた前髪なのだが、その長い髪は真ん中で分けられ額を出していた。
 かつて服や豪奢なアクセサリーに負けない、華やかな気を放っていたのだが、今はその気は影を潜めているかの様、どこか儚げなのである。
 

「同志の諸君、盛岡へようこそ!」

 尻が腕を大きく広げた。
 尻ってこんなだったのだろうか。その疑問は西松も同様のようだった。
 西松の丸眼鏡越しの眼差しが明らかに険しく困惑している。
 尻は大袈裟な動きで西松へ右手を差し出し握手を交わすと次は堀込、その次に俺に握手を求めてきた。
 俺はそれに応えて尻の手を握り返す。

「君は初めて見る顔だね。名前は何と言うのかね?」

 と尻は声を張った。

「尻毛先生、お久しぶりです。
 俺です。シロタンこと風間詩郎です」

「あれ?本当に風間くんか?顔が全然違うようだけど…」

「色々と訳ありで変わったんですよ。
 先生、この前サンデーサンで会いましたよね」

 俺のその一言に尻は微妙に表情を曇らせた。

「そうだったね」

 尻は素っ気なく返事をした後、その手から力が抜けた。俺の手を離し、次に控えるパリスと握手を交わそうとしているようだが、俺は力を込め尻の手を離さない。

「黒薔薇婦人と再会出来たようですね」

 俺の言葉に尻は一瞬、怯んだような表情を見せたが、すぐさま満面の笑みを浮かべる。

「そういえば風間くんも彼女のことを知っていたね。
 彼女はもう黒薔薇婦人ではないんだよ」

 その尻の言葉に一瞬、息が止まる。

「え?」

「麗花と言うんだ。私の妻だ」

 尻は左手の薬指に煌めく指輪を見せてきた。
 その薬指の向こうに黒薔薇婦人、違う…、元黒薔薇婦人の姿があった。
 所在無さげに立つ元黒薔薇婦人、かつては浮世離れしていたが、今や俗臭に満ちている…

 そんな中、不意に元黒薔薇婦人と俺の視線が交錯した。
 その刹那、俺の背中に電流の様な衝撃が走る。彼女との記憶、少な過ぎた刹那の出来事が脳裏を過ぎる。
 俺は今、どんな表情を浮かべているのか、どんな表情をすればいいのかわからない。
 わからないまま、引き攣っているであろう顔で無理矢理に微笑むも、彼女は眉毛一つ動かさない。
 その眼差しは無関心、そのものと言ったところか…
 その無関心さが俺の心に突き刺さる。
 あの黒薔薇婦人との出来事は何だったのだろう。夢か、幻か。
 もしかして、あの時の世界は俺の妄想を具現化したものだったのか。


 気がつけば俺はかれこれ、長い距離を歩かされていた。

「おい、パリス。俺たちはどこへ向かっているんだ?」

「風間、さっきも同じことを聞いただろ?」
 
 前を歩く西松が笑う。
 そうだったのか?俺はここまで取り乱しているのか…

「尻毛学生会館だよ」

 パリスが俺の質問に答えた。

「尻毛学生会館?なんだよ、それ」

「尻毛先生が運営している学生会館だよ」

「その学生会館ってのは何なんだ?」

「民間の学生寮みたいなものだよ。俺たちお金もないし、行く当ても無いから暫く居てもいいって言ってたよ。ってこの話は二回目だよ」

 パリスが例の薄笑いを浮かべながら付け加えた。

「盛岡豚丼大学の学生が多くいるという話だ。質は言うまでもないだろう」

 榎本が例の大尉風に言った。

「榎本さん、岩手武輝学院大学だって!」

 栗栖が即、修正する。

「私は四流私大の名称など覚えられないものでね」

 榎本がサングラスのフレームの真ん中であるブリッジを人差し指で掛け直す。
 榎本がやけに攻撃的だ。

「榎本さんだって狭山ヶ丘国際大学の学生だろ。レベル的には大して変わらないって」

 堀込が口を挟んだ。
 榎本は再び眼鏡を直す仕草をする。

「前から思っていたのだがね。君たちは少々、私を誤解しているようだ。
 私は君たちと違い、大学院生なのだよ。
 さらに私は東大卒だ」

 榎本は東大の部分を強調していた。
 その意外過ぎる告白に、一同、驚愕の声を漏らす。
 榎本がこれでもかと言うぐらいに誇らしげな態度をしている。
 東大と言うが、それはどこの東大なのか…

「じゃあ、榎本さんは何の研究をしているの?」

 西松だ。

「それは秘密だ。国家や社会の機密に関わる事なのでね」

 榎本がまた人差し指で眼鏡を直す仕草をした。

「絶対嘘だね」

 西松は小声で言った。

「嘘かも知れないが、これが榎本の今のこの世界における“設定”かも知れない」

 俺は小声で返すと西松と堀込が笑いながら頷いた。


「あっ、あれだよ」

 西松が進行方向、前方にある物を指差した。

 それは石割桜という桜の木だ。
 巨大な岩の割れ目から桜の木が育ったことから石割桜と言い、ここ盛岡市の名物であり国の天然記念物であるらしい。
 尻毛学生会館への道の途中で、この石割桜を見れると知り、西松はさっきから楽しみにしていたのだ。
 今、4月の中旬を過ぎた辺りだ。
 満開の時期を過ぎ、桜の花弁の散り始めの時期である。

 心地良くもどこか冷たさのある風に桜の花弁が舞う。
 その無数の花弁が舞う中に、尻と腕組みをして歩く黒薔薇婦人の後姿が見えた。

 寒い…
 その寒さは丈の足りないTシャツのせいで、俺だけヘソ出しになっているからか。
 寒さに耐えられず、ヘソを隠したくてシャツの裾を引っ張るが、どう足掻いても丈が足りない。

 あぁ…、寒い…、心の奥底まで沁みる寒さだ。

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