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終わりなき旅

井波の自宅の当時使っていた部屋に、未だ学習机が残っているだろうか?
残っているなら、未だあの傷も残っているだろうか。

ずーっと忘れていた記憶。
あれから、30年経って、ふと思い出した。


実は、受験勉強をしていて、暗記するのは得意じゃなかった。

何度も口に出して繰り返す、連想する別のものと結びつける等、色々とやってみたが、一番シックリきたのは、なにかのマニュアル本を読んだ「手を動かしながら、覚える」だった。
最初は、例えば「メソポタミア文明」を覚えるのに、不要紙に「メソポタミア文明」、「メソポタミア文明」…と何度か繰り返して書いていくのだが、いつからか、別に手を動かすのであれば、その単語そのものを書き写す必要がないことに気づいた。手さえ動いていればいいので、単にカリカリカリカリ前後にペンを動かしているだけに。しまいには、それも面倒なので、紙の上ではなく、机の表面そのものをカリカリと削っていたような気がする。
今思うと異様な光景だが、それが、いつの間にか、記憶をする際のルーティンとなった(もちろん、自宅でのみのルーティンである)。
そして、右利きなので、机の表面の向かって右側は削られて、穴が開いていくのである。

実際にはもっとヒドイ

数ヶ月前に歯の詰め物が取れて、以来歯科に通っている。
先日、その周辺の歯茎が痩せてきており、原因として、歯ぎしりとか、知らないうちに強く噛んでいることがないか?と聞かれた。
いびきはかいていると思うが、歯ぎしりは指摘されたことがない。
そこで思い出したのが、受験勉強の例のルーティンだ。
確かに、数ヶ月間、歯を食いしばって、カリカリとやっていたような気がする。しかも利き手の関係から、左側よりも利き手側の右側の歯に偏っていたような気がする。
そう、詰め物が取れたのも右側だ。

あぁ、年を取ると、色んなところに若いときの無理の影響が出るんだなぁ。
よく聞いてはいたが、あらためて実感する。
でも、この件は、そんな悪い気はしない。
あのとき、異様な光景ではあるが、歯を食いしばって暗記をしていたことで、今の自分がある。今の現状を受け入れることは、あのときの自分を受け入れることになると思う。あのとき、やっていなければ、今はこうはなっていないのに、とは思わない、思えないのである。

そう考えると、あのときの机の表面は、今の歯なり、歯茎の状態に似ているな。
-カリカリカリカリ-
「カンナみたいに命を削って」とは言わないが、あのとき削っていたのは机の表面でもあり、将来の自分の歯、歯茎だったのかもしれない。
「光と影を連れて」進んできた50年。
ボロボロになってきていることも引っくるめて、まるっとこの体に感謝したい。



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