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内視鏡検査の付加価値
「はーい、小西さん、先生が来るまで、ちょっとぼんやりしてきますよ〜」
さあ、勝負だ。
血圧を測り終え、鼻には酸素を吸入するための鼻カニューレが、口にはマウスピースが装着され、左の指は脈を測るためにクリップのようなもので挟まれる。右腕は針をさされて、点滴につながっている。戦闘の準備はできた…というか、むしろ、拘束されている?
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自身に言い聞かせるー麻酔は、右腕からだ、鼻からじゃない。鼻は無視しろ。右腕に集中しろー。事前に看護師さんに聞いておいたから間違いない。「よく誤解される方がいるんですよ〜」。あぶないあぶない、こっちもそう思っていた。情報は大事だ。
視野には時計がない。あるのは壁に据え付けられたエアコンのディスプレイ。とりあえず設定温度の27度をにらみつける。
そんなことを考えているうちに、突然目の前に先生が現れた。
ちょ…まだ心の準備が…右腕が熱を帯びたように感じる。右腕に刺された針を通じてやつらが攻めてきた。あれ、27度が、ダブって見える…
(暗転)
「小西さん、目覚めましたか?お気分はどうですか?」
あぁ、今年もダメだったか…。
今年もこの季節がやってきた!
胃と大腸の内視鏡検査だ。
毎年、年末年始に行っている。かれこれ15年以上も毎年続いている恒例行事だ。内視鏡検査は今や私の中では冬の季語になっているくらいだ。使い道のない季語だが。
会社の決算月が、経営の年間の締めであるなら、私にとって内視鏡検査はある意味、睡眠の年間の締めのようなものだ。私の場合、日常においては日本人の平均的な睡眠時間を下回るが、それによる積もり積もった無理も、いったんここで微調整、整理されて、新しい睡眠年度が始まる。
なぜか?それは、検査に3時間の全身麻酔が付随するからだ。
これによって、日々の睡眠の不足分が御破算になっている。いや、実際にはなっていないと思うが、なっていることにしている。自分のイメージでは、ドラゴンボールの「精神と時の部屋」のような感じだ。ここでの睡眠時間3時間は、1,000時間分の効果があるはずである(妄想)。貴重なエネルギーチャージの体験なのである。わくわく。
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この検査にはもう一つ、別の機能がある。
上記睡眠での話とはある意味相反するが、毎回、麻酔に対しては徹底的に抵抗することとしている。麻酔との徹底抗戦である(言ってみたかっただけ)。
過去15年間、この戦いに勝ったことがない。というか、これから先も勝てる気がしない、というか、勝っちゃダメだろ。
ここに、意思だけでは抗いがたい、物理的にかなわない相手を見出すのである。100%負ける。そして、謙虚になる。
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つまり、自身の傲慢さもアジャストする年一回の締め日と言えるかもしれない。
そういうリマインダーとしての機能が検査にはあるわけである。
内視鏡検査を億劫がる人もまわりに多い。
確かに、私も麻酔なしの検査をかつて受けたことがあるが、もう二度と受けたくない、と思ったものだ(当時、大腸にポリープが7、8個あり、先生が下手くそで、壁が傷つき、手前の2,3個で中断したことがあった)。それ以降は、多少お金がかかっても、全身麻酔の病院にお願いしている。
確かに高いかもしれないが、睡眠不足が御破算になり(ならねぇ!って)、謙虚さを取り戻せる機会となり、なおかつ胃と大腸との状態を調べてもらえるなら、それは、それでありではないか、と思うわけである。