女と蛇
もう一昔前になりましょうか。
紫野にある雲林院(うりんいん)で、毎年、3月21日に行われる菩提講に詣でる道すがら、大宮から西院(現在の西大路四条周辺)にさしかかるあたりのことでした。私の前を一人の女性が歩いていました。年のころは20代半ばといったところでしょうか。ゆったりとした着流しに腰帯を締めて、草履を履いた足指がかろうじて見える程度に裾をあげたスタイルは、なかなかにキュートでした。
その女性が石橋を渡っていた時のことです。彼女が石を踏みつけて、体勢を崩してよろめき、思わずこけそうになりましたが、何とか踏みとどまり、大丈夫でした。ところが、踏みつけた石がごろんと動いた拍子に、後ろにいた私には、石の下で蛇がとぐろを巻いているのが見えました。眠っているところを起こされたかのように、蛇はゆっくりと頭を持ち上げ、前を行く女性の後をつけ始めました。
蛇はさほど大きくはありません。体長40㎝ほどでしょうか。全体が白っぽい、茶色のまだらでした。蛇は、前を行く女性に付かず離れずといった距離を保っていましたが、道行く人たちは誰も蛇に気が付いている様子はありませんでした。蛇に気づいているのは私だけのようでした。
女性は、雲林院に着いて、履物を脱いで講堂の板の間に座りました。すると蛇も板の間に上がり、女性の横にとぐろを巻いて、しんみりと説教に聴き入っている様子でした。やはり誰も蛇には気づいていないようでした。法会(ほうえ)が終わり、女性が講堂から出ていくと、その後ろを蛇がついて行きました。私は家に帰ることも忘れて、その蛇の後をつけました。なぜそうしたのか、今もって分かりません。ただ気になったとしか言いようがありません。
女性は、下京のとある家に入っていきました。蛇もその後について家に入っていきました。これはどうしたものか。家の中の様子は分かりません。特に私はこの事態に対して、何らかの責任があるわけではないので、ここで引き返してもよかったのですが、気になって仕方がなかったので、しばらく思案したのち、私は家の中に入りました。
女性は板の間に座っていました。蛇はと言うと、板敷きの下の柱のもとにとぐろを巻いていました。そして背伸びをするように、下から女性の方を見上げていました。私の姿をみて、女性はちょっとびっくりした様子でしたが、蛇はこちらを振り向こうともしませんでした。私は女性に言いました、「今日、田舎から出てきた者ですが、今晩、泊めていただけませんでしょうか?」すると女性は奥に向かって言いました、「お泊りのお客様ですよ。」奥から老女が出てきたので、私は、「今晩、泊めていただけませんでしょうか?」と言うと、老女は、「はいよろしゅうございますよ。どうぞお入りください。ゆっくりくつろいでくだされ。」私は、ここは女性の家かと思っていましたが、女性も泊り客のひとりでした。女性は、昨日、近江の国(滋賀県)からやってきてここに宿泊し、今日、雲林院(うりんいん)の菩提講に出席したことを話していました。
夕食を済ませ、当たり障りのない世間話などしているうちにすっかり日が暮れました。部屋の中も薄暗くなって、蛇の様子も分からなくなったので、「麻などございましたら、糸紡ぎなどさせていただきます」と言うと、老女は麻を持ってきて、礼を言いながら、明かりを灯してくれました。紡ぎながら横を見ると、女性は既に寝入っており、蛇は相変わらず身じろぎもせず女性の様子をうかがっているだけでした。そのうちに油も切れて、明かりが消え、部屋が暗くなり、私は知らぬ間に眠りに落ちていました。
がたがたという物音で目が覚めました。老女が朝餉の準備をしていました。例の女性は井戸で顔を洗い、身づくろいをしていました。私が一番遅く目覚めたようでした。目をこすりながら蛇の様子をうかがったのですが、蛇の姿はどこにも見当たりませんでした。女性の様子からすると、特に夜中に何事かが起こったようにもみえませんでした。朝餉のあと、お茶を飲みながら、女性は、昨夜みた夢の話を始めました。
「寝ていた枕元に人の気配がしたので、起き上がってみると、腰から上がヒトで、腰から下は蛇の姿をした、位の高そうな30歳前後の女人が座っていて、私に話しかけてきました。女人は、彼女の恋人を奪ったある女房に恨みを抱いて死んだので、蛇に生まれ変わり、石橋の石の下に閉じ込められてしまったそうです。私がその石につまずいて石が動いたので、5年間の封印が解けて自由の身になったそうです。それでお礼を言おうと思い、私の後をついて行くと、菩提講の席で、ありがたい法華経の説教を聴くことができ、尊い仏法のお陰で、前世の罪が赦されて、蛇から人間に戻ることができたということでした。自由の身になり、さらに蛇から人間に戻ることができたので、お礼として良い縁談に恵まれるようにします、と約束をして、その女人の姿は消え、私は目が覚めました。」
女性の夢の話を聴いて、私は、一連の経過にようやく納得ができました。そこで、私は、石橋で起こったこと、石の下から出てきた蛇の姿が私の目には見えたこと、女性と蛇の後を追ってここまでやってきた経緯を話しました。蛇が女性に対して何か悪いことをしないか、とてもハラハラしたことなど、本音の話をしているうちに、彼女と私はとても親しくなり、それからというもの、私たちは今に至るまでずっとお付き合いを続けています。
その後、彼女には素晴らしい縁談がありました。権門勢家の政所(まんどころ)に務める6位の下家司(しもけいし)で、申し分のない家柄と、ハンサムなご主人、それに今では、3人のお子様に恵まれていらっしゃいます。でも私には蛇の恩恵は無さそうです。目撃者というだけですから、仕方がありませんね。
<宇治拾遺物語巻第4の5>
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