紅の袴(はかま)
越前の国(福井県)敦賀(つるが)に裕福な家があった。その家は、夫婦と一人娘の3人暮らしであったが、多くの使用人が働いていて、いつも賑わいがあった。両親は娘を大層可愛がっていた。それだけに、両親は、娘を一人残して世を去ることが、とても心苦しく心配だった。自分たちが生きている間に、娘を立派な男と娶わせて、安定した家庭を築いてもらいたいと考えた。両親は、いい男がいると聞いては、娘と結婚させたが、相手は長く居つくことなく去って行った。5回結婚したが、5回とも離婚という結果に終わった。どうして結婚生活が長続きしないのか、その理由は誰にも分からなかった。両親は心配のあまり、家の後ろにお堂を建てて、観音様を祀り、日夜、娘の幸せを祈願した。
しばらくして、母が死に、後を追うように父が死んだ。娘の嘆きようは一通りではなかった。来る日も来る日も泣き明かした。彼女は、一人で生きていくことはできなかった。親が残してくれた資産は、日に日に減るばかりだった。使用人も一人また一人と次第に減っていき、やがて一人も居なくなった。大きな屋敷にひとり残された娘は、その日の食べるものにも困るほど貧しくなった。娘は、朝な夕なに、観音様に祈りを捧げた。
ある日、娘の夢の中に老僧が出てきた。老僧は、明日、旅の者がこの家に訪ねてくるので、その者の言うことをよく聞くように、とアドバイスした。半信半疑ではあったが、翌日は、身を清め、家の掃除をして、訪問客を待った。しかしながら、家は大きかったが、休むための敷き筵(むしろ)さえもない有様だった。食事の用意もできなかった。
老僧の予言通り、夕方になって、大勢の旅の集団がやってきた。馬に乗った侍が20~30人、その下人をいれると、総勢70~80人いた。主人の男は30歳前後のハンサムな男で、大変、さっぱりした人柄であった。彼らは食料を持参していなかった。しかし娘は彼らの食事を用意することができなかった。娘は、惨めな気持ちになり、家の片隅でひっそりとうつむいたまま、しくしくと泣いていた。夜になって、主人の男がやってきて、娘に、「お話ししたい」と声をかけた。「何事でございましょう?」娘は涙を拭って、男の近くに寄った。男は優しく娘の手をとった。
男は、美濃の国(岐阜県南部)の名将の一人息子であった。3年前に、親が死んで、遺産の全てを相続した。有能な男で、親の代よりも家は栄え、威勢を増した。ところが、1年前に、最愛の妻に先立たれてしまった。彼らの間に子供はいなかった。再婚の話があちらこちらから持ち込まれたが、彼は、妻のイメージを捨てきれず、縁談話を全て断った。この度は、所用で敦賀にやってきた。80人の人数が泊まれる宿を探していると、大きな家があったので、そこに宿泊することにした。その家の娘は、不思議なほど亡き妻にそっくりであった。容姿もしゃべり方も、まるで亡妻の生まれ変わりの様であった。敦賀に来ることがなければ、この娘に会うこともなかったと思うと、男は不思議な縁を感じた。
夜明け方に、男は娘に、「今日は朝から出かけて用事を済ませて、明日の夕方までには必ず戻るから、待っていてくれ」と言い置いて、家来と従者を連れて出かけていった。家には20人ほどの男たちが残った。娘は、これらの男たちの食事を用意したり、馬に草を与えたりする目途も立たず、途方にくれてしまった。
そんな時に、ひとりの女がふらりと訪ねてきた。切れ長の目、一重の厚ぼったいまぶた、ふくよかな唇、鋭くない鼻の卵形の顔で、とりわけ別嬪というわけではなかったが、中肉中背の40前後の優しそうな女性だった。娘は、どこかでこの女を見たことがあるような気がしたが、はっきりとした記憶はなかった。女は、娘の亡くなった両親に仕えていた者の娘だと自己紹介した。女は、長い間ご無沙汰していたので、忘れられたのだろうと言った。女が、部屋でたむろしている大勢の男たちはどうしたのかと訊いた。娘は、かくかくしかじか、旅の集団の話をして、男たちの食事や夜具が用意できず困っていることを打ち明けた。女は、この男たちがどんな連中か、人数は如何ほどか、何日泊まるのかなどと訊いて、女が何とかすると言って、立ち去った。
しばらく経って、女は、たくさんの食べ物、酒、夜具、それに馬草まで運んできた。娘と女は一緒になって、男たちに食事を給仕し、酒を振舞った。一息ついたところで、娘と女は、部屋の隅で、あれこれと話をした。
娘は、「あなたがいらっしゃらなかったら、とんでもない恥をかくところでした。助けていただき有難うございます」と言いながら、うれし泣きをした。女ももらい泣きをしながら言った、「長い間、ご挨拶にも伺わず、ご無沙汰をして申し訳ございません。どうしていらっしゃることかと気になりながら、なかなか思うようにならず、今日になってしまいました。少しでもお役に立てれば、これほど嬉しいことはございません。」明日、こちらに帰ってくる者たちの人数を確認して、女は帰って行った。娘は、その夜、女が来てくれたことを観音様に報告して感謝の祈りを捧げた。
女は、翌朝、男たちの食事を用意してきた。夕方には、用事を済ませて帰ってきた者たちも合わせて80人分の食事や酒を準備して、給仕して回った。帰ってきた主人の男は、娘に、「とても会いたかった。明日の朝、ここを発つつもりだ。あなたを連れて美濃に帰る」と言った。娘は、夢の中で老僧が、「旅人の言うことをよく聞くように」と言ったことを忠実に守り、主人の男と一緒に美濃の国に行くことにした。女にもその気持ちを伝えた。女は、とても喜んでくれた。
女が、明日の出発のことまであれこれと世話を焼いて準備してくれたので、娘は何かお礼をしたいと思ったが、なにせ、無一文状態だったので、気の利いたものが見当たらなかった。どうしようかと悩んでいた。ふと、親が作ってくれた大事な紅の袴(はかま)を思い出し、娘は女に、その袴を差し出した。女は、「そんな大事なものはいただけません」と断った。娘は、「私は主人と一緒に美濃の国に行きます。お世話になったあなたに、2度と会えないかもしれません。私の形見と思って受け取ってください」と言った。女は、「もったいないお言葉です。そうまでおっしゃるのなら、お断りすることはできません」と言って、紅の袴を受け取った。女は、袴を大事そうに持って、帰っていった。
一番鶏が鳴いて、皆が起き出して、女が用意してくれていた朝食を済ませた。全員が、旅装束を整えて、馬に鞍を置いた。主人の男が娘を馬に乗せようとしたときに、娘は、「2度と観音様を拝めないかもしれませんので」と言って、手を洗い、後ろの観音堂に入って行った。
手を合わせ、感謝の言葉を述べ、観音像をふと見上げると、観音像の肩に赤いものが掛かっていた。近づいて見ると、それは、昨夜、娘が形見として女に与えた紅の袴だった。娘は思わず後ずさりした。何ということ!あの女は観音様だったのだ。観音様が女の姿をとって助けて下さったのだ。娘はそのことを悟ると、涙が滝のようにあふれ出て、うつ伏しておいおいと泣き崩れた。
主人の男が、娘の泣き声を聞いて、不審に思い、観音堂に入ってきて、「どうしたのか?」と訊いた。娘は、困り果てているときに、思いもかけない女がやってきて、あれこれと世話を焼いてくれたこと、昨夜、その女に形見として差し上げた紅の袴が、観音様の肩に掛かっていることを話した。観音様が女の姿をして、娘の窮状を救ってくれたに違いないと涙ながらに話した。それを聞いて、主人の男も一緒に泣いた。
美濃の国に向かう馬上にあって、娘は何度も何度も後ろを振り返り、感謝の言葉を口にした。その後、彼らは、他人も羨む仲睦まじい夫婦となり、たくさんの子宝に恵まれたと聞いている。
<宇治拾遺物語巻第9の3>
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