みなし児と弥勒菩薩

夫に先立たれた未亡人には6人の子供がいました。女手ひとつで子供たちを育てるために、彼女は馬車馬の様に働きました。昼も夜も休む間もありません。それでも、食べるものがなくなると、子どもたちを連れて森に入り、キノコや木の実をつんできては命をつないでいました。しかし、気力体力にも限界があり、彼女は体を壊して、とうとう動けなくなりました。死期を悟った母親は子供たちに、「お釈迦様を信じなさい。お釈迦様があなたたちを守ってくれます」と言い残しました。

母親が死の床にあるとき、お釈迦様は、京都太秦(うずまさ)のお寺で修行中の弥勒菩薩を呼びに使いの者をやりました。弥勒菩薩は、右足を左膝にのせ、右手を軽く頬に当てて、微かな微笑を浮かべながら思索に耽っているところでした。呼ばれて天空にやって来た弥勒菩薩に、お釈迦様は、母親の魂を極楽に連れてくるよう命じました。

菩薩は、死斑を帯びた母親を取り囲んで泣いている6人の子供たちの様子が大変憐れに感じられました。菩薩は、天空にいらっしゃるお釈迦様にもう一度お目通りを願い、孤児になろうとしている子供たちのために、もう少し母親の命をながらえてほしいと訴えました。お釈迦様は、菩薩のその願いには答えませんでしたが、孤児たちを死なせはしないと菩薩に約束しました。

それから3日後、菩薩は、未亡人の魂をふところに抱いて極楽に戻ってきました。お釈迦様は、菩薩にねぎらいの言葉をかけた後、次の仕事として、地上で3年間、ある裕福な男に仕えるよう命じました。菩薩は人間の姿をして地上に降りました。

その裕福な男には、妻もなく子供もいませんでした。何か事業を思いつくと、迷わずそれに向かって突き進み、必ず成功するというやり手の男でした。しかし他人に対する思いやりが全くなかったので、友人と呼べる者は誰一人いませんでした。彼と手を組んで仕事をしようとするものは皆無でした。

菩薩は男の家までやって来て、案内を乞いました。男が戸を開けると、見たこともないような見目麗しい美少年が立っていました。
「名前は?」
「みろく...」
「はあ?みろく?弥勒菩薩のみろくかいな?変わった名前やね。」
「あ、いや、ミクと言います。」
「ミク。年は?」
「17歳です。」
「何か、手に職はあるんか?」
「何もありません。教えていただきたいのです。お願いします。」
「ええやろ。どこに住んどるんや?」
「住むところはありません。」
「ほな、今日からこの家に住み込みや。しっかり勉強して、仕事おぼえや。」
男は、ミクを大層気に入り、部屋を与え、熱心に仕事を教えました。これまでは、誰とも一緒に仕事をしたことがなく、ましてや教えようともしなかったのですが。そして、何処へ行くにも必ずミクを連れていきました。

あるとき、男はミクを連れて狩りに出かけました。鹿を見つけて矢を射ましたが、当たらず、鹿は森の奥に走って逃げていきました。執念深い男は、ミクとともに、その鹿をどこまでも追跡しました。鹿を見失い、気が付くと森の奥深くに入り込み、彼らは完全に道に迷ってしまいました。夜になり、深い森には月明かりさえ届きませんでした。食べ物もありません。彼らは、じめじめとした地面の上で眠りました。男はいままで、こんな空腹と暗闇を経験したことがありませんでした。

朝になり、男とミクは森を抜けようと歩き始めました。人の足跡もなく、人家もありませんでした。挫折を知らない男は、たらたらと愚痴をこぼし、自分たちを見捨てた神を罵倒しました。来る日も来る日も、彼らは木の実をかじり草露を舐めながら、森の中をさまよい歩き続けました。

ある夜、盗賊団に襲われました。狩りの道具、着ているもの全てを奪われてしまいました。男は強盗に頑強に抵抗したので、さんざんに殴られ、足蹴りにされて瀕死の状態に陥りました。ミクは懸命に男の看病をしました。
「わいらはここで野垂れ死にやな。」男は力なく言いました。
「お釈迦様が私たちを救ってくださいます。」
「お釈迦さんが何してくれるんや?」
「お釈迦様は私たちの面倒をみてくれていらっしゃいます。そうでなければ、とっくの昔に私たちは死んでいます。」
「わいらには着る物もないし、食うもんもあれへん。どないして生き延びるちゅうのんや?死ぬのを待っとるだけやんか。」
男は気力をなくし、横になったまま動こうとしません。ミクは食べられそうな木の実や水を探しているときに、ふと、小道を見つけました。
「この小道を行ってみましょう。お釈迦様のお導きかもしれません。」

その道に沿ってしばらく歩いていくと、やっと森を抜けました。行く手に村落がありました。零落した貧しい村でした。貧しいけれど、人々はとても親切でした。粟と芋づるの粥を作ってくれました。男はこれまで、これほど美味しいものを食べたことがありませんでした。身ぐるみ剥がれて裸だったので、村人はぼろぼろのつぎはぎだらけの服を着せてくれました。男はぽろぽろと涙を流しました。彼はいままで涙を流したことなどありませんでした。村人たちの温かい心に打たれたのです。彼は自分が金持ちであることを恥ずかしく思いました。元気を取り戻した2人は、さらに旅を続けました。

3日3晩歩き通して、ある村に着きました。ミクは、この村に見覚えがありました。ミクは男を、村はずれにある崩れかけたぼろ小屋に連れて行きました。中を覗くと、小さな部屋で6人の子供たちが身を寄せ合って、死んだ母親のために祈りを捧げていました。
「ご覧ください。みなし児たちです。彼らを残して父も母も死にました。お釈迦様があの子供たちを見捨てることはありません。」

2人はさらに旅を続けました。町に帰り着くと、ミクは立ち止まって言いました。
「ここからは独りでお帰り下さい。お釈迦様が私に3年間あなたに仕えるようお命じになりました。今日でその3年が経ちました。私はお釈迦様へのご報告に参らなければなりませんので、ここでお別れします。何か迷われることがあれば、あの6人のみなし児たちのことを思い出してください。お釈迦様があなたを思い出されるように。」

男は家に帰り着きました。壮麗な屋敷、きらびやかな家財道具、正装した使用人が彼を出迎えてくれました。彼の好みを知り尽くした豪勢なディナーを終え、久しぶりに、ふかふかの布団で横になりました。体はぼろぎれのように疲れ切っていましたが、興奮してなかなか寝付けませんでした。6人のみなし児たちの顔がひとりひとり鮮やかによみがえってきました。彼らは悲しげではありません。でも寂しげでした。男はいつの間にか眠りに落ちていました。

微かな気配を感じて男が目を開けると、枕の横に弥勒菩薩が立って、じっと男の顔を覗き込んでいらっしゃいました。髪を結いあげ、額には白毫(びゃくごう)が生え、肩から白布をかけ、腰には白い裳(も)をまとっておられました。男はハッとして飛び起き、菩薩に深々と頭を下げました。感謝の言葉を述べようとして、顔を上げると、菩薩の姿はそこにありませんでした。翌朝、彼は一切の財産を売り払い、6人のみなし児たちのいる村に移り住み、彼らの父親になりました。

<スロバキア民話より、和風アレンジ>


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