死人に囚われていい

先に言っとくけど、誰がなんと言おうと自分の気持ちを大事にして、飯食って寝て生活やりながら存分に悲しみましょう、だめならSNSに吐き出して。負の感情はかまってちゃんだから、無視すると増えるからねって話。

たくさんの葬儀に参列して、死に向かっていった身内を見て、好きなアーティストを見送って、創作でも死がテーマに据えられたものに心奪われることが続くと、自分の心が弔いと共に毟られていくような気持ちになることが多くて、きっと私のハートは廃墟のカーテンのようになっているんじゃないかと思う。
もう取り戻せないもの、不可逆的なそれらは私の脳に巣食っているけど、決して蜘蛛が糸を張ることはない。仏教徒だけど死んだら会えないんだって事実が穴だらけの心を埋めていく。
死んだ人の分まで生きなきゃねなんて綺麗事には反吐が出る、死んだ人は修行で忙しいんだ仏教じゃ、それどころじゃないんだ。
死人に口なし、死すれば全て美談、じゃあうるさい人間のほうが得をするじゃないって思うんだけど、経験上それはそう。本当にそう。死んだ途端良い人フィルターが眼科のダサい測定用眼鏡レンズみたいにガチャンガチャン嵌められていくわけ。何枚も何枚も。

いつまでも引きずらないで、関係が薄かったじゃない、創作物のことでしょう?なんてよく言われるけど、何が悪い。
人知れず引きずる想いがあって、あと一歩踏み出せてればという後悔があって、作者の思う通りに心揺さぶられて、何かアンタにご迷惑がかかりまして?

圧搾した新鮮な絶望をとくとご覧あれ。感受性の鈍い人へは添加物多めのものをどうぞ、ここにないんで他所行って。という気持ちで創作してる。

天 天和通りの快男児
BANANA FISH
櫻井敦司
ここ一年くらい、上記によりずっと死のにおいがしてた。来年は自分が死なないようにが抱負。

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kissaame
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