はっきり断れる人のほうが信頼される!
どうも、だっちょです。
突然ですが、周囲から信頼されたい思いは、誰しもが持っている感情だと思います。
では、どんな人が信頼されるのか?
それは周囲から信頼されている人とは、人望が厚いわけではなく、できないことは「できない」とはっきり言える勇気を持った人です。
なぜなら、仕事の依頼で真逆の返事をした人の、二つの状況があったとします。
A 仕事はできる人だが、最初から今日は予定があるから、仕事の依頼は全て「できない」とはっきり断ると決めてる人。(仕事も大切だが、自分のことも同様に大切にしてる人)
B 仕事は、お金を頂いている以上、常に依頼された仕事はやるのが当たり前だと思い、真面目で断ることができない人。なので、すべての仕事の依頼を引き受けてしまう。自分のプライベートを重視して仕事を断る奴は、もってのほかだと思っているため結果、心に余裕がなく仕事が「できない」(仕事がすべて、真面目でいい人)
この二つは、結果的にはどちらも「できなかった」「相手の期待に応えられなかった」という状況は同じでしょう。しかし、仕事を依頼してきた相手側にとっては、信頼度や信用度のイメージは、天と地ほどの差になっているからです。
では、どうして相手側に天と地との差が生まれてしまうのでしょうか?
相手側は、仕事を依頼するとき、ぶっちゃけAでも、Bでもどちらでも良かったのです。依頼して、ハッキリ断られたからダメではなく、引き受けてくれたOKではなく、相手側は仕事の結果を求めているからです。
要するに、仕事ってやっぱりお金が絡んでいるので、優先順位としては結果を出せば、すべて良しなのです。
Bは、自分のプライドと評価を求めているから、まんまと人間特有の欲張りにハマっているのです。
Bには、相手側は「なんだよできるって言ったじゃないか!」最初からNOと言われるより、期待を持って結果を望んでいたから、それが「ぬか喜び」に終わったときに感じる「がっかり感」が強く相手にイメージさせてしまったからです。人は誰でもそうですが。
断ることは決して罪ではありません。安易に引き受けて期待を持たせるほうが、よほど罪です。恋愛とかでもそうでは、ありませんか?
できないことをできないと、はっきり断る。その姿勢も社会人として大事な「責任感」なのではないでしょうか?
いい人、実は都合のいい人?「断る勇気」で自分を守る
「お願い、これをやっておいて」 ➡ 「あ~うん、わかったよ...」
「いっしょに、あれも頼むよ」 ➡ 「えっ、まあ、いいですけど...」
「ねえ、ちょっと手伝って」 ➡ 「も~、仕方ないなぁ...」
断れない理由はさまざまですが、なかでも多いのが真面目さや、やさしさがアダとなって、ついつい引き受けてしまうケースでしょう。
相手に同情して、断れないタイプには「いい人」が多いです。
「イヤだ」と断れずに頼まれごとを、引き受けてばかりでいると、周囲から「面倒なことはあの人に頼めばいい」と見られてしまいます。こちらの事情などお構いなしに「あの人ならやってくれる」と勝手に思われてしまうからです。
人は何かを頼むときには、まずは最初に相手の都合を聞くのが常識です。最低限のルールです。でも断れずに引き受けてばかりいると、次第に常識やルールの適用外にされます。そうなれば、周囲にとってその人はいい人ではなく、単に「都合のいい人」「使い勝手のいい人」に変換されてしまうのです。
嫌われたくないから断れない。気の毒だから断れない。断れないから、自分だけが大変なのにガマンして引き受ける。
ガマンをして引き受けてばかりいると、ストレスだってどんどん溜まっていきます。ストレスを溜めてばかりいると、いつかそれが弾けて、爆発して、心や体を壊してしまいます。
もちろん自分の都合や事情に折り合いがつくなら、引き受ければいい。でも自分のことを後回しにしてでも、引き受けるべき申し出でないものは、「ごめんなさい」と言っても、何ら問題はありません。
仕方なく引き受けることの弊害は
断れずに引き受けた仕事、断れずにOKした誘い、当然そのどちらも「自分がしたいこと」ではありませんよね。
気の進まないことをイヤイヤやることほど、ストレスの溜まることはありません。
つい仕方なく引き受けた瞬間には、
しまった。どうして「NO」と言わなかったんだ!
という後悔の念に襲われ、大切な自分の時間を奪われることを悟って、
なんて、お人好しなんだろう...
と自己嫌悪に陥ります。
それでも、がっかりされてもう仕事の依頼がこない、誘われないのもイヤだから、仕方ないか。
と自分で自分を納得させて、頼まれた仕事を取り組み、誘いに参加する。
断れない人によく見られる行動パターンです。
でも、この「納得」はそう長続きしません。
その仕事や誘いは、そもそも「断りたい」ことなのですから。
実際に引き受けた仕事に取り掛かると、次第に「なんで、こんなこと引き受けちゃったんだろう」「あ~やりたくない」「だいたいどうしてオレなんだよ、腹立つ!」
こんな後悔や恨みをしたことありませんか?
気が進まないだけではなく、自分に余裕がないのに引き受けてしまったのであれば、なおさらです。
「これじゃあ、ほかの仕事が進められない」「時間ないのに、どうしよう」「でも、こっちもやらなきゃマズイ」などの焦りやイライラ感も湧き上がってきます。
こうした感情は心身とも大きなストレスとなります。
気の進まないことを、イヤイヤやらされている。胸に抱えた本当ならやりたくないという思いが邪魔をする。その結果、どうしても身が入らず、ミスも多くなるのは当然でしょう。
ミスが多くなれば、依頼してきた人にも周囲の人にもかえって、迷惑をかけてしまいます。無理して引き受けることは、こうした多くの弊害があるということです。
都合のいい人は、相手のためにならない
都合のいい人は、その人自身だけではなく、その人にものを頼む人にとっても悪い影響を及ぼします。
「こうしてほしい」と思うことを何でもやってくれる、善意のヒーローのような人がいたら、何かにつけてその人を頼りたい。困ったときは、その人にすがりたいという気持ちになるでしょう。ドラえもんに頼るのび太くんのように。
お願いすれば、たいていのことは、やってくれる人というのは、実は困ったちゃんなのです。なぜなら身近にいると、やってもらうことが「当たり前」な風習が浸透してしまうからです。
最初は持っていた「申し訳ない」という感情が影をひそめ、次第に「自分が楽をする」ことを、周りは覚えていきます。
その結果、「あれも頼めばいい、これもやってもらえる」という具合に頼みごとが増長し、さらに相手への配慮や遠慮がなくなるからです。バブル時代のアッシー君みたいにされます。
断るのは自分で「よかれ」と判断した結果。なので自信をもてばいい
断るとは、物事がいいか悪いか、正しいか正しくないか、有益か無益かなどを区別して判断し、論理的に説明することです。
つまり依頼や誘いの申し出を辞退する際に、事情をきちんと示して、辞退が理にかなっていることを伝える行為なのです。
安請け合いして、かえって相手に迷惑をかける可能性が高いと判断した場合は断る。
体調がよくない上に、キャパオーバーなことをしようとしているので、体力的に無理だと判断し断る。
これを引き受けたら、相手のためにならないと判断し断る。
つまり断るとは、自分がよくよく考えた上での「こうだ」「こうすべきだ」と判断した結果の「できません」だということです。
断ったからといって後ろめたさや罪悪感を覚える必要はありません。
「自分で決めた判断なんだ」と腹をくくりましょう。
最後に
断り方と言うのは経験と場数によって上手になっていくのかもしれません。
私も会社の先輩に、昼休みに昼食代ちょっと貸しといてと言われ、断れない人だったので、安易に貸し、そのせいでお金を返してもらえないこともありました。「ああ、あのときは判断が甘かった」と、今となればそう思います。
断るというと、拒否するという意味で受け取ってしまいがちです。
自分の判断の結果という意味では、実はとても前向きな行動です。
そう、断ることは、悪いことではないんですよ。
それでは、また。
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