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場末のディサービス(27)ベネズエラ

テレビをみていたら 日米野球を中継していて
ベネズエラが目についた。中南米のベネズエラ 実は
45年ほど前に 住んでいたことがある。
主人がダムを作りに行っていて 私と息子も一年ほど行っていた。
2歳の息子を連れて 成田~ニューヨーク~ベネズエラのカラカス空港
カラカス~プエルトオルダス(現地空港) 気の遠くなるなるような旅だった。
息子にも座席はあったが 隣の席に大きな外人の方が座られたので
「怖い!」と言ってほとんど抱っこ状態。
ニューヨークまで12.3時間 しんどかった~~~~。
帰国する時は 絶対主人に子守をしてもらおうと思った。
大昔だったので パンアメリカン航空だったと思う。
とってもきれいなスチュワーデスだった。子供連れの私に優しくして
くれた。飛行機もジャンボジェット機だった。
ベネズエラまでの飛行機は少し小さくて スチュワーデスは少し大きくなりカラカスから現地空港までは だいぶ小さな飛行機になり
もっと大きなスチュワーデスになった。(おばちゃんだった)
現地空港は ジャングルの中だった。 (ダムを作っている現場
なので )

ベネズエラは赤道に近く、ほぼ一年中夏 日中40度ぐらい
車のボンネットで目玉焼きが焼ける。 一日中 できの悪いクーラーが
大きな音をたてていた。
着いてしばらくは トレーラーに住んでいた。よく映画でみかける
ようなタイヤがついた家。
ベッドルームが2つ リビングが2つ  キッチン バスルームがついていて トレーラーハウスが何台か並んでいたが 1台づつ インテリアが
違っていて 我が家は山小屋風でキッチンの横にバーもついていた。
主人が現場に行ってしまうと 息子と二人 これといってすることも
ないので トレーラーの周りを探検した。マンゴーがなっていた。
あのころ日本では食べたこともない アボガドがなっている。
マンゴーは日本で見かけるのより ずっと大きくて食べ応えがあった。
種をしゃぶると繊維にたくさん実がついていて美味しかった!
週1 会社から近くのスーパーまで車をだしてもらって
買い物にいっていたが、野菜、魚、アイスクリーム、水を
車で売りに来ていたので 利用していた。
現地はスペイン語 主人から片言のスペイン語を教えてもらって
それなりに通じて 買い物はできた。

一度アイスクリームを息子のために買ったら 大きなバケツに入っていて
美味しかったんだけど、次の日も,また次の日もとなり
断るのに苦労した。アイスクリームもメチャメチャ甘かった。
食べ物が甘かった。初めのころジュースは水で薄めて飲んでいたが
だんだん慣れて そのまま飲めるようになった。
トレーラーハウスに住んでいた日本人は少なく 色んな国の方が
住んでいて 言葉がわからないなりに 仲良しの家族もできて
息子はパンツ1枚で遊びまわっていた。

今夜は疲れたので この辺で。。。

続きます。





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