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場末のディサービス(たけもっちゃん)

たけもっちゃんは 在日の方で 場末のディサービスを利用されるときには
ご主人はもういなくて 一人暮らしをされていた。
 ほぼ毎日息子さんが様子を見にこられていた。
娘さんたちは 大阪の方にいて たまにきていたようだ。

韓流ドラマを見るようになって よくたけもっちゃんの事を思い出す

「純子 餅があるから貰いにきて」と電話をもらった
多分 亡くなったご主人の法事があったのだと思う 日本のお餅とは違う
あずきが入ったお餅をもらった事がある

たけもっちゃんはご主人が亡くなって 日本で苦労をしたんだと思うが いつも
明るく笑っていた。変形性膝関節痛のため 膝にはサポーターをしていた
歩くのにいたそうだった。戦後の日本で本当に苦労されたと思う ゴミの仕分けをしていたと聞いた事がある 腰痛持ちで 腰にはコルセットをしていた
ある日 たけもっちゃんが 「昔 辛いのが食べたくなったんや 夜 トイレに
隠れて青い唐辛子を食べた 辛かったけど 涙が出るほど美味かった」と話してくれた事があった。

たけもっちゃんの家の周りは在日の人が多く みんな大きな声で喧嘩をしてるように
話していたが 実は仲良しだった
お迎えに行くと たまにたけもっちゃんが留守の時があると 近所のおじさんが
「ばばあは 近くの知り合いのところに行ってる すぐに帰ってくる」と教えてくれた
「お迎え後にするから 帰ってきたら電話してって伝えて」と頼むと たけもっちゃん
から「純子 迎えにきて」と電話がかかってきた

私は たけもっちゃんが大好きだった カンファレンスの帰りは 必ずたけもっちゃんの
家で トイレ休憩をしてた
たけもっちゃんが 「純子 忙しくするな しんどい時は ここで一緒に昼寝をしよう」と言って 枕を出してくれた

たけもっちゃんのお金の管理は息子さんがしていた
いつの頃か 息子さんが利用料を支払わなくなった 連絡しても二ヶ月に1回だったりした たけもっちゃんは日本の年金をもらっていたので 年金がそこそこあったように
思う 利用料も月2〜3万にはなっていただろうか 
息子さんの商売がうまくいってなかったのか 利用料が・・・
契約書には利用料は毎月支払うことになっていて 利用を断ることができるとうたって
いるが まあ 他の仕事と違って むげに明日から 来ないでと言うわけにもいかず
息子さんが 半年に1度 まとめてもってくるので のんびりしていた

たけもっちゃんが可愛かった
息子さんも 「もうちょっと 待ってや」と電話をくれた

お金の管理をしている家族が 利用者さん 親の お金を使い込むのはよくあった
親の方も 娘や息子がお金に困っていれば 自分のことはいいから 助けてあげたいと
思うのは当然だろう  現に私の母も 弟には随分援助をしていた
私と妹はお小遣いすらなかったのに・・

たけもっちゃんは娘さん達が大阪に住んでいて 時々娘さん宅に行く事があると
1日は泊まる事ができても 2日目になると 「純子 迎えに来て」と電話がかかって
来ていた。娘さんが 純子 と言う名前で 余計に私に電話がし易かったみたい

でも 「大阪までは よう迎えに行かんよ」
3日目で 家に帰ってくる ご近所の方達も 口は悪いけどいい人ばかりだったから

場末のディサービスに来て みんなとわあ~わあ〜喋っているのが 楽しかったのかも

家に一人でいるより 同世代の人と 話すのは 愚痴であれ なんであれ 楽しいことだ

たけもっちゃんも 空に上がって 久しい
きっとご主人と仲良く子供の話をしているに違いない

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