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元巫女てくてく小噺 ⑥【なにとぞ なにとぞ・・・】


御朱印ブームなどに寄って10年ほど前から寺社を訪れる方々や和婚が増えたのは嬉しいのですが社頭に配置される事になり気になった事をいくつか記したいと思います。

「この御守お財布に入るかな?」「この大きさだとお財布に入らないよね」という会話を年々多く聞くようになったこと。

お金は必要不可欠な物ですが、不浄の物と考えられてるのでお金の御守以外はお財布に入れない方がよろしいかと思います。
普段お持ちになる、カバンやポーチなどが良いかと思います。

ただ、リュックの外に付けて、御守がバシバシリュックに当たってるのも気になります。

御守の中には御神体や御札のような物が納まってます。
神様がサンドバッグ状態になってるので、チャックに付けても御守は中に仕舞った方がよろしいかと思います。

ただ鈴に関しては、鈴の音が魔除けになったり開運を呼び込む考えもあるので、サンドバッグ状態にならない所に付けるのが良いかと思います。

一番良いのは、身に付けること。
昔は御守の事を肌守とも言っていました。
なるべく肌に近いところでお持ちになるのが良いです。

着物を着ていた時代は衿の内側に縫い付けていたりしました。
着物は下の肌着は洗っても着物を洗う回数は少ないですからね。着物を洗う際には襟をほどいて御守を出して洗えば良いので。

世代的に知ってる方と知らない方と分かれますが、洋服になってからは「男はつらいよ」の寅さんが御守に紐を付けて首から下げてるのは良い例ですね。

私が子供の頃は学年に何人か居ました。
首から御守と鍵を下げてる子。

後は下着に括り付けてる方も知っています。

そのように身に付けていると、1年ほどで御守がボロボロになってしまいます。なので、1年ほどで新しい御守を頂くという流れが出来ます。

最近最も気になるのは、昔なら有り得なかった「お賽銭がないので小銭に崩してください」ですね。

昨今「キャッシュレス時代なんだからカードを使えるようにしろ」とか「寺社だって商売なんだから両替機を置いとけ」とか「昔は米や野菜を奉納したんだからお金に拘るのがおかしい。キャッシュレスでも問題ない」というコメントを見ますけど、まず「昔は米や野菜を〜」に関しては現代でもOKです。

実際にお納め下さる方は沢山いらっしゃいます。
逆にそれが大変だから、お金になっていったのだと思います。

確かにキャッシュレスは楽です。
でもまずその考えが違います

お詣りする際は「お賽銭」を用意する事から始まります。鳥居の前で一礼して入る。正中を外して歩くのが最初では有りません。家を出る前からがお詣りです。

ご祈祷等で拝殿するなら靴下は必須です。
勿論過度な露出も駄目です。 

大盤振る舞い出来ない、我が実家は日々お賽銭として車の小物入れに小銭を貯めていました。

それが無ければ、行く前に買物をして作っていました。まずは準備が大切です。

ここ数年では、これが一番言いたいことかも知れません。
「寺社だって商売なんだから〜」に関しては、私自身も思っていた時期が有ります。

とある著名な方も、ずっとそう思っていたそうです。
ある時、その方の美術展に伺った時に書かれていたのですが、余りにも熱心にお寺にお参りされる農家の方が身近におり「あそこのお坊さん達は贅沢をしている。
そんなところになぜ熱心にお供えをするのか」と聞いたところ、その農家の方は「私は、お坊さんに納めてるのではない。あくまで仏様にお供えしてるんだから」という言葉を聞いて感銘を受けたそうです。

私も「あっ、私自身も勘違いしていたな」と気付かされました。
メモを取らなかったのでうろ覚えの情報で申し訳ないのですが、そのような事が書かれておりました。

対「神様」対「仏様」そのような当たり前のことさえ忘れていたと気付かされました。

農業をやってらっしゃる方は、日々自然を相手に闘ってお仕事されているので真理を掴んでいらっしゃる方が多いかも知れません。

前回も書きましたが日本には八百万の神という考えが有ります。
日常の1つ1つに感謝して生きて行けたら穏やかに過ごせそうですね。
人間そこが難しいのですけれど・・・


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