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離婚しました、という話。

こんばんは、アリス食堂です。
お久しぶりの投稿です。

久しぶりの投稿ながら、このような表題の投稿にて恐縮です。

一個人の個人的情報をこのように表題にして文章とするのも、どうかと思いますが、宜しければ、このまま最後までお読みいただきたい。

まずは、離婚の話をする前に、ある方の話をしたい。

その方は、私の友達の友達。
友達のイベントでよく見かける、なにかの度に名前を耳にする友達の友達だった。
だから、私の友達ではない。
だけど、親しみを込めて、彼と呼んで、その方の話をしたい。

彼が最近亡くなった。
病死だった。
亡くなったと友達から聞いた時、耳を疑うとはこの事なんだなと実感した。

またどこかのイベントで見かけるでしょ?!
また彼の話を聞くでしょ?!
そういう存在。

彼と会話したのは一回だけ。
友達のコーヒー屋のお手伝いで、彼のお知り合いと見られる方にコーヒーを渡してほしいとお願いした。

「わかりました」
受け取り方、表情、しぐさ、声のトーン、言葉の選び方。
全部に優しさがある人だった。

もしも、私から友達になってほしいと伝えていたら
「もちろん」
といっぱいの笑顔で言ってくれたと思う。

彼が亡くなったと聞いて、彼の事が私の頭の中に浮かんできた。
そして、意識で彼と会話した。

これって、特別なことを言っているわけではありません。
日々の中で気になる人っていませんか?
ケンカしちゃった誰か、遠く会えない誰か、大好きだって思う誰か、心配で仕方ない誰か。
そういう気になる誰かと意識で繋がることはできると思う。そして、会話できる。

彼とは友達ではなかったけれど、友達のように今の私の事や気になる事なんかで会話した。
そして、「せいぜい楽しむがいいさ。僕は十分楽しんだよ」
そういう言葉を私にくれた。

そう、今ある身体は永遠ではない。
だから、最後の最後まで楽しみたい。
私にくる全てのことを。

離婚に至った経緯、それは、私の感覚だけだ。
私の感覚が離婚したいと思ったから。

私の感覚について行く形で、私の身体がついていった。
息子がいること。
旦那さんだって、まったく悪い人ではない。
高齢の両親へ話すること。

友達や周りの人たちへ話すこと。

社会との役割で生じる全てのやり取り。

そういった一つ一つを受け入れ、受け取り、それでも進んでいった。

この過程の中で、一つの大きなご縁があった。舞うというご縁。

胸骨から自分の身体を動かすということ。胸骨とは、すなわち私自身。胸骨を自由に動かす事により私の身体はしなやかに大きく舞った。

それは、私の身体の真ん中に揺るぎのない安心感をくれた。腹に据わったともいうのだろう。

そのご縁で関わった祀りについて、その祀りを旗揚げし、皆の先頭となり自らも舞続けていた方について、いつか文章にしたいと思っている。

私の舞の姿を載せてみました。大きく自分を隠す必要もない。だからといって、自分を大きくさらけ出そうとも思わない。出すことも、出さないことも私の自由だ。なんと気持ちの良いことなのだろう。

話がそれましたが、彼の話に戻りたい。

彼が住んでいた場所に友達と行ってみた。彼が好きだったという場所に行き、彼が飲んでいた湧き水に触れ、飲んだ。

彼が見ていたであろう、見晴らしのいい丘に行った。雨でモヤがかかった景色がより天空の彼と繋がっているように感じた。

彼の友達だった友達が丘から声をかけた

「ありがとう、また会おうね」

私は彼の友達ではなかったので、どう声をかけてよいか分からなかったので、だまっていた。でも、十分に彼を感じて胸が熱くなった。

友達ではなかった彼、だけど、彼の生きた一コマに私は出会い、何かを感じる事ができた事に感謝したい。ありがとう。

帰りに、彼の友達だったご夫婦が営む、美味しいランチのお店でみんなでランチを食べた。とても美味しかった。


離婚しました。それは、旦那さんへ伝えた「子育て友達になってください」から始まった。

息子を通して、子育て友達になった関係がこれからどうなっていくのか、色んな家族の形の一つとして私たちは進んでいく。

最後に、一般には受け入れがたい、私の感覚を受け入れてくれた元旦那さんに大きい感謝の気持ちを伝えたい。誰よりも幸せになってください。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

金曜日の夜の投稿、今後も目標として続けます。




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